【横浜市立大学】パラゴムノキと近縁種5種のゲノム、プロテオーム、リピドーム解析
―天然ゴムの品質や特性への新たな展開として―
横浜市立大学木原生物学研究所 松井南特任教授(理化学研究所 環境資源科学研究センター 客員主管研究員)、慶應義塾大学商学部 栗原恵美子助教、前橋工科大学工学部 生命工学領域 蒔田由布子教授らの研究グループは、マレーシア科学大学、インドネシアゴム研究所と共同で、天然ゴム生産国で多く用いられている品種パラゴムノキ(ヘベア ブラジリエンシス; Hevea brasiliensis RRIM 600の染色体レベルのゲノム解析と、へべア属近縁種*1の5種のゲノム解析、6種間の遺伝子比較、ラテックスのプロテオーム比較、脂質成分比較の総合的な解析を行うことで、天然ゴムの生産性のみならず、品質に関わる基礎的なデータを取得しました。本研究成果は、「GigaScience」に掲載されました(2025年10月10日公開)。
研究成果のポイント
- パラゴムノキとヘベア属近縁種5種のパンゲノム解析により、ATP関連遺伝子が進化過程で拡大していることを明らかにした。
- プロテオミクス解析*2により、高収量のパラゴムノキではラテックス再生やゴム生合成に関わる主要酵素が豊富に存在することが示された。
- リピドミクス解析*3から、ラテックス中にゴム粒子の安定化に寄与するジグリセロールやホスファチジン酸が豊富であることが確認され、高品質ゴムの維持に関与することが示唆された。
研究背景
天然ゴムは、その優れた物理的特性から、タイヤをはじめとする多様な工業製品に欠かせない天然ポリマーです。現在、工業利用が可能な天然ゴムを生産するのは、パラゴムノキ(ヘベア ブラジリエンシス; Hevea brasiliensis)のみです(図1)。パラゴムノキはアマゾンから東南アジアへと栽培が広がりましたが、特定の株だけ栽培していったため、遺伝的多様性に乏しいのが現状です。ヘベア属には他にも10種の近縁種が存在しますが、生産性の低さから十分に研究が進められてきませんでした。しかし近年、これらの近縁種は、ラテックスの収量や生合成効率、さらには物理化学的特性を高めるための育種に活用できる貴重な遺伝的資源として注目を集めています。天然ゴムの安定供給と持続可能性を確保するためには、こうした近縁種の遺伝的多様性を再評価することが不可欠です。本研究は、このような背景を踏まえ、ヘベア属の多様性をオミックスレベルで包括的に解明*4することを目的として実施しました。本成果は、将来の育種プログラムに向けた基盤情報を提供し、天然ゴムの持続的な生産体制の構築に貢献することが期待されます。
研究内容
本研究では、パラゴムノキ5種のヘベア属近縁種を対象に、パンジーン解析*5、プロテオミクス解析、リピドミクス解析の手法を組み合わせ、網羅的な解析を実施しました。
まず、パンジーン解析では、パラゴムノキ(Hevea brasiliensis)の高品質なゲノムを再構築するとともに、H. guianensis、H. pauciflora、H. spruceana、H. confusa、H. collinaの5種との比較解析を行いました。その結果、ヘベア属の進化の過程においてATP結合やATP加水分解活性に関連する遺伝子ファミリーが拡大しており、これらがラテックス生産において重要な役割を果たしていることを明らかにしました。
次に、プロテオミクス解析では、高分解能質量分析計を用いたDIA-MS(Data-Independent Acquisition Mass Spectrometry)*6により、ラテックスに含まれるタンパク質の種類と相対的な量を詳細に調べました。その結果、天然ゴムの生合成に関わる主要な酵素群(CPTs、REF、SRPPs)に加え、ラテックスの再生能力に関連するタンパク質(グルタミン合成酵素、メタロチオネイン、真核生物翻訳開始因子)を同定しました。特にパラゴムノキでは、これらのタンパク質が他のヘベア属植物と比べて顕著に多く存在しており、高い収量を維持するための優れた再生能力が示唆されました。
さらに、リピドミクス解析では、LC-MS/MS(液体クロマトグラフィー-タンデム質量分析計)*7による標的代謝物解析を行い、ラテックスに含まれる脂質組成をプロファイリングしました。その結果、ヘベア属近縁種間で、脂質の組成比が異なることが明らかになりました。これが、ゴム品質を維持するための特徴であると予測されます。
今後の展開
天然ゴムの生産量は、この150年で1ヘクタールあたり年間500kgから1500kg以上へと大きく増加しました。これは新品種の作出や農業技術の改善によるものですが、天然ゴムそのものの特性に大きな変化はありませんでした。本研究で得られたゲノム、タンパク質、脂質に関する知見は、こうした状況を打開し、天然ゴムの育種に新たな方向性をもたらすことが期待されます。具体的には、収量に関わる遺伝子やタンパク質の特定により高生産性品種の効率的な育種が可能となるほか、近縁種のゲノム比較から得られる病害耐性や環境適応性の特性を導入することで、気候変動に強いゴムノキの開発につながります。さらに、ラテックスの安定性やゴム品質に寄与する脂質の役割が明らかとなることで、高品質な天然ゴムを目指す新しい育種ができると期待できます。加えて、近縁種との交雑によって天然ゴムそのものの特性を変化させ、工業製品としての新たな展開を拓く可能性も示されています。
今後は、特定された遺伝子やタンパク質、脂質の機能を詳細に検証するとともに、ゲノム選抜やゲノム編集といった先端技術を育種プログラムに応用することが課題となります。
研究費
本研究の一部は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST、JPMJSA2006)と独立行政法人国際協力機構(JICA)の連携事業である地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の支援を受けて実施しました。
論文情報
タイトル:Comparative genomics and multi-omics analyses reveal the evolution and physiological basis of rubber biosynthesis in Hevea species
著者:Nyok-Sean Lau, Emiko Okubo-Kurihara, Yuko Makita, Fetrina Oktavia, Tomoko Kuriyama, Yukio Kurihara, Hidefumi Hamasaki, Yuki Nakamura, Mitsutaka Kadota, Osamu Nishimura, Shigehiro Kuraku, Ahmad Sofiman Othman, Minami Matsui
掲載雑誌:GigaScience
DOI:https://doi.org/10.1093/gigascience/giaf115
用語説明
*1 近縁種(Hevea species):世界の天然ゴムの主要な原料であるパラゴムノキ(Hevea brasiliensis)に近しい種のこと。Hevea属には、H. guianensis、H. confuse、H. spruceana、H. camargoana、H. nitida、H. pauciflora、H. collina、H. benthamiana、H. camporum、H. microphylla、H. paludosa、H. rigidifoliaなどが含まれる。これらの種は、天然ゴムの収量は低いものの、病害耐性や環境適応性に関する貴重な遺伝子資源として注目されている。
*2 プロテオミクス解析(Proteomics Analysis):細胞や組織に含まれるすべてのタンパク質の種類、量、翻訳後修飾状態などを網羅的に調べる手法。主に質量分析(MS)を用いて行われ、生命活動の根幹を担うタンパク質の動態を解析することで、遺伝子情報だけではわからない生理機能や病気のメカニズムを解明できる。
*3 リピドミクス解析(Lipidomics Analysis):生体内に存在するすべての脂質を網羅的に解析する手法。脂質はエネルギー貯蔵、細胞膜の構成、情報伝達など多様な役割を担っており、その分子種や組成を解析することで、細胞の機能や代謝異常を明らかにすることができる。
*4 オミックスレベルで包括的に解明:マルチオミクス解析(Multi-omics Analysis)は、ゲノム(遺伝子)、トランスクリプトーム(RNA)、プロテオーム(タンパク質)、メタボロームやリピドーム(代謝物・脂質)など、複数の「オミクス」データセットを統合して解析するアプローチ。生物システムの複雑なメカニズムをシステムレベルで多角的に解明するために用いられる。
*5 パンジーン解析(Pangene Analysis):パンゲノム解析は、複数のゲノムを比較して、その種全体が持つすべての遺伝子を網羅的に特定する手法であるのに対し、パンジーン解析は、パンゲノム解析によって見つかった個々の遺伝子群(パンジーン)の機能や進化を詳しく調べる手法である。
*6 DIA-MS(Data Independent Acquisition Mass Spectrometry):質量分析計を用いたプロテオミクス解析の一手法。指定した m/z 範囲ごとにすべてのイオンを網羅的に断片化・分析することで、再現性が高く、データ欠損の少ない精度の良い定量データを取得することができる。DDA(Data Dependent Acquisition)方式と比べ、網羅性と再現性に優れる。
*7 LC-MS/MS(液体クロマトグラフィー-タンデム質量分析計):液体クロマトグラフィー(LC)で混合物から目的の成分を分離し、質量分析計(MS/MS)でその成分の質量や断片パターンを測定して構造情報を得る技術。特に、複雑な生体試料中の微量な代謝物や脂質、タンパク質の同定・定量に広く用いられる。