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【本研究のポイント】
・線虫C. elegans注)1 は加齢するとエサの匂いに向かう化学走性行動ができなくなる。
・順遺伝学的スクリーニング注)2 からnhr-76遺伝子の欠損で化学走性行動の老化が起こらなくなることを発見した。
・行動の老化はダメージの蓄積や病気で起こるだけではなく、設計図である遺伝子によって仕組まれているのかもしれない。
【研究概要】
名古屋大学大学院理学研究科の野間 健太郎 准教授、横澤 陸王 博士後期課程学生は、線虫C. elegans(以下、線虫)において、ある遺伝子がエサに向かう行動を積極的に老化させていることを発見しました。
研究チームは、線虫を用いた順遺伝学的スクリーニングにより、行動の老化を引き起こす遺伝子nhr-76を発見しました。nhr-76遺伝子を欠損させた線虫では、加齢後も若い線虫と同様に匂いを感知する受容体が発現し、エサの匂いに向かう行動が保たれました。この結果は、化学走性行動の老化が単なる経年劣化ではなく、遺伝子によってプログラムされた積極的なプロセスであることを示唆しています。これまで着目されてこなかった「積極的な老化」に着目した研究が進めば、いずれは老化を制御できる時代が来るかもしれません。
本研究成果は、2025年10月23日付の国際的科学雑誌『Aging Cell』に掲載されました。
【研究背景と内容】
老化とは、性成熟後に生じる生理機能の低下と定義されます。特に神経機能の老化は、認知能力や運動機能を低下させ、高齢化社会における深刻な課題となっています。
老化は一般的に、有害な物質や損傷が蓄積する結果として受動的に進むと考えられています。一方、ヒトの老化が44歳と60歳で加速することが報告されており、「能動的な老化」の存在も示唆されています(Shen et al., Nat Aging, 2024)。しかしながら、能動的に老化を引き起こす遺伝子の存在や、その分子機構については明らかになっていません。
本研究では、寿命が短く、少ない神経細胞を使って多様な行動を示す線虫を用いました。若い線虫は、ジアセチルなどのエサの匂いに向かって行く化学走性行動を示します。この行動は、感覚ニューロンに存在する匂いの受容体が、匂い物質を感知することによって行われます。本研究チームは先行研究において、生殖を終えた加齢線虫において、ジアセチルの受容体であるODR-10の発現量が減少し、それが原因でジアセチルへの化学走性行動が低下することを示しました(図1、Suryawinata*, Yokosawa*, et al., Sci Rep., 2024)。しかし、このような化学走性行動の低下が、単なる経年劣化なのか、遺伝子によって積極的に制御されているのかは不明でした。
本研究では、さまざまな生命現象に重要な遺伝子を発見できる順遺伝学的スクリーニングと呼ばれる方法を用いました。このようなスクリーニングを複雑な行動の老化に適用したのは世界初の試みです。その結果、加齢後も化学走性能力を保持する変異体として、核内受容体注)3 を作り出すnhr-76遺伝子を発見しました。nhr-76遺伝子を欠損した個体では、加齢後でも若齢線虫と同様に匂いの受容体ODR-10が発現し、化学走性能力が高く保たれました(図2)。
核内受容体と呼ばれるタンパク質は、一般的に細胞の核の中でステロイドホルモンなどの脂溶性物質を受け取って、他の遺伝子の発現量を制御しています。NHR-76の核の中での存在量は加齢によって変化しなかったことから、NHR-76の量ではなく活性化状態が変化すると考えられます。もしかすると、「老化ホルモン」としてはたらく物質が核内受容体NHR-76を活性化させて、行動を低下させているのかもしれません。
本研究では、nhr-76遺伝子の欠失により、行動の老化が起こりにくくなることが明らかになりました。逆に言えばnhr-76遺伝子は積極的に行動の老化を引き起こしていると考えられます。
【成果の意義】
本研究では、これまで受動的なものであると考えられてきた神経機能の老化現象が、遺伝子によって積極的に起こりうることを示しました。たとえば細胞が死ぬときにも、損傷によって仕方なく死ぬ以外に、身体の形づくりのために積極的に死ぬ場合があります。もしかすると、個体の老化についても同じように、損傷の蓄積による受動的な側面と、遺伝子に仕組まれた積極的な側面があるのかもしれません。エサに向かう行動を積極的に老化させることにより、若い個体が生殖を終えた個体よりも多くのエサを食べることができ、結果として種全体にとってメリットになるのではないでしょうか。線虫は遺伝子の指令によって、自らの引き際をコントロールされているのかもしれません。ヒトにおいて能動的な神経機能の老化が起こっているかは明らかではありません。しかし、ヒトにおいてもレチノイン酸受容体と呼ばれるNHR-76に似た遺伝子が存在しています。今後、あまり着目されてこなかった積極的な老化の研究が進めば、老化を防ぐことができる未来が訪れるかもしれません。
本研究は、2021年度から始まった科研費・基盤C(JP 21K06014)、2022年度から始まったJST創発的研究支援事業(JPMJFR 214V)、2023年度から始まった大幸財団 第34回 自然科学系学術研究助成、および2024年度から始まったJST SPRING事業(JPMJSP2125)の支援のもとで行われました。
【用語説明】
注1)線虫C. elegans:
正式な種名はCaenorhabditis elegans。非感染性の線形動物で生物学の研究に広く用いられている。世代時間が3日、寿命が2週間程度と短く、たった302個の神経細胞を使ってさまざまな行動を示す。さらに体長が1 mm程度と小さいことから、多個体を用いた寿命や行動の解析が容易である。これらの利点をいかして、当研究室では線虫を用いて神経機能が老化するメカニズムの解明に取り組んでいる。
注2)順遺伝学的スクリーニング:
ゲノムと呼ばれる設計図にはたくさんの遺伝子と言われる部分が存在しており、タンパク質を作り出す情報を保持している。線虫に約20000個存在する遺伝子の内、どれが行動老化に重要であるかを調べるために、ランダムにそれらの遺伝子を破壊して行動老化が起こらない変異体を探索した。このような方法は順遺伝学的スクリーニングと呼ばれ、我々の想像を超えた未知の遺伝子の発見に役立つ。
注3)核内受容体
真核細胞の遺伝情報は細胞の核の中にあるDNAに刻まれている。核内受容体は核の中でDNAに結合し、どの遺伝子の情報を読み出すか、つまり設計図の内のどの部分を使うかを制御している。核内受容体の中には、ステロイドホルモンや脂溶性ビタミンなどが結合することによって活性化するものが知られているが、今回見つかったNHR-76の活性化機構はまだ分かっていない。
【論文情報】
雑誌名:Aging Cell
論文タイトル:A nuclear hormone receptor nhr-76 induces age-dependent chemotaxis decline in C. elegans
著者:Rikuou Yokosawa and Kentaro Noma (著者は全て名古屋大学に所属)
DOI: 10.1111/acel.70277
URL:
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/acel.70277
▼本件に関する問い合わせ先
名古屋大学総務部広報課
TEL:052-558-9735
FAX:052-788-6272
メール:nu_research@t.mail.nagoya-u.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/