新しい環境では「眠れない」のはなぜか?生存を支える覚醒回路を解明、睡眠障害の病態理解に新たな視点

名古屋大学

【本研究のポイント】 ・新奇環境時に神経活動が増加する脳領域を同定。 ・この脳領域(拡張扁桃体注1))を抑制すると、新奇環境時の覚醒が抑制される。 ・拡張扁桃体のコルチコトロピン放出因子陽性神経に存在するニューロテンシンが新奇環境時の覚醒維持に関与する。 名古屋大学環境医学研究所の小野 大輔 講師、竹本 さやか 教授、上田 修平 助教らの研究グループは、新奇環境時に覚醒を維持する神経メカニズムを新たに発見しました。 動物や人間は、初めての場所に置かれると覚醒度が高まり、周囲を注意深く観察することが知られています。例えばホテルに泊まった初日の夜に眠りが浅くなる「初日効果(first night effect)」はよく知られた現象です。このような反応は、環境が安全であるか確認されるまで覚醒を維持することで、生存率を高める適応的行動だと考えられています。しかし、脳が環境の新しさをどのように検知し、覚醒維持という行動に結びつけているのか、その仕組みは未解明のままでした。 本研究グループは、脳の拡張扁桃体に注目し、この領域に存在する CRF(コルチコトロピン放出因子)神経が、新奇環境における持続的な覚醒を支える重要な役割を果たしていることを発見しました。特に、これらの神経が神経ペプチドの一種であるニューロテンシン(NTS)を用いて中脳の黒質網様部注2)に情報を伝えることが、覚醒維持に重要であることが示されました。本研究は、脳が環境の不確実性を察知し、適応的な覚醒へと変換する仕組みの一端を解明したものであり、睡眠障害の新たな治療法の開発が期待されます。 本研究成果は、2026年2月3日(日本時間)付国際学術雑誌『The Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)』に掲載されました。 【研究背景と内容】 睡眠は動物にとって不可欠な生理機能ですが、動物は捕食者の存在や急激な環境変化など、生存に直接関わる事象が起こった場合には睡眠を一時的に抑え、覚醒を優先させます。新しい環境は危険性が不明なため、動物はまずその状況を評価し、安全が確認されるまでは覚醒を保つ必要があります。この現象はヒトでも見られ、例えばホテルに泊まった初日の夜に眠りが浅くなる「初日効果 (First night effect)」として報告されています(図1)。  図1:First night effectとそれに関わる神経細胞 覚醒に関わる神経機構については、視床下部のオレキシン神経や中脳ドパミン神経などが知られていますが、「環境の新奇性」という特定の要因に応答する回路については未解明のままでした。また、情動やストレス応答を担う扁桃体系は新奇環境への反応に関与すると考えられていたものの、覚醒維持に直接どのように寄与するかは不明でした。 本研究では、新奇環境に曝露されたマウスにおいて脳活動を解析した結果、拡張扁桃体に属するIPACL (interstitial nucleus of the posterior limb of the anterior commissure)に存在する CRF 神経が顕著に活性化することを見出しました(図2)。 図2:新奇環境時にIPACLのCRF神経の活動が増加 薬理遺伝学注3)および光遺伝学注4)手法を用いてこれらの神経を人工的に活性化すると覚醒が促進され、逆に抑制すると新奇環境での覚醒維持が低下しました。さらに、アデノ随伴ウイルス注5)とゲノム編集注6)技術を利用し、CRF神経からニューロテンシンを欠損させると睡眠までの潜時が短縮したことから、環境の新しさに対する覚醒反応には IPACLのCRF神経によるニューロテンシン放出が必要であることが示されました(図3)。 図3:In vivoゲノム編集を利用したIPACLのCRF神経のニューロテンシン欠損により、新奇環境時での睡眠までの潜時が短縮 また、解剖学的解析により、IPACL の CRF 神経は中脳の黒質網様部へと投射することが明らかとなり、ここでニューロテンシンが放出され、ニューロテンシン受容体1を介し覚醒制御に寄与していることが明らかになりました。以上より、IPACLのCRF神経 → 黒質網様部経路は新しい環境における覚醒維持を支える神経基盤であることが示され、環境刺激と覚醒行動をつなぐ脳内機構が回路単位で解明されました(図4)。 図4:新奇環境時に覚醒を維持する神経回路 【成果の意義】 本研究は、私たちが日常的に経験する「新しい環境では眠りにくい」という身近な現象を説明する神経基盤を明らかにしたものであり、睡眠・生理学・行動神経科学の複数の領域にまたがる意義を持ちます。特に、不眠症やストレス関連睡眠障害など、過覚醒が関与する病態の理解に新たな視点を提供し、PTSD や不安障害にみられる過度な覚醒状態のメカニズム解明にも寄与する可能性があります。さらに、神経ペプチドであるニューロテンシンや拡張扁桃体系を睡眠調整の新たな標的として捉えることで、将来的には睡眠薬や覚醒調整薬の創薬戦略にも応用が期待されます。 本研究は、文部科学省の科学研究費補助金(JP22KF0166, JP22K06483, 23H04939, 24H02006, JP22H04922 (AdAMS), 25H00437, JP24K02060, and 25H02445)、科学技術振興機構の創発的研究支援事業(JPMJFR211A)、 上原記念生命科学財団、興和生命科学振興財団、武田科学振興財団、加藤記念バイオサイエンス振興財団、大幸財団、セコム科学技術振興財団、稲盛財団、ヒロセ財団、ロッテ財団の支援のもとで行われたものです。 【用語説明】 注1)扁桃体:大脳辺縁系に属する神経核群で、情動処理、ストレス応答、覚醒制御などに関与する。 注2)黒質網様部:基底核の主要な出力核で、視床や脳幹に抑制性信号を送ることで運動や覚醒制御に関与する。 注3)薬理遺伝学:遺伝学的に導入した改変受容体を薬剤で活性化または抑制することで、特定神経回路の機能を操作する手法。 注4)光遺伝学:光感受性タンパク質を特定の神経細胞に発現させ、その活動を光刺激によって制御する技術。 注5)アデノ随伴ウイルス:非病原性ウイルスを遺伝子導入用ベクターとして利用する手法で、特定の細胞種や脳領域へ遺伝子を効率的に運搬できる。 注6)ゲノム編集:Cas9酵素で特定のDNA配列を切断し、細胞の修復機構を利用して遺伝子を改変する技術。 【論文情報】 雑誌名:The Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS) 論文タイトル:Neurotensin in the extended amygdala maintains wakefulness in novel environments 著者:Chi Jung Hung1, Shuhei Ueda3, 4, Sheikh Mizanur Rahaman1, Mikiyasu Yamamoto3, 4, Jiahui Li1, 2, Noriaki Fukatsu5, Haruhiko Bito6, Hiroshi Yamaguchi7, Akihiro Yamanaka8, Sayaka Takemoto-Kimura3,4, and Daisuke Ono1,2 1Stress Recognition and Response, Research Institute of Environmental Medicine, Nagoya University, Furo-cho, Chikusa-ku, Nagoya, 464-8601, Japan 2Department of Neural Regulation, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, 466-8550, Japan 3Depertment of Neuroscience, Research Institute of Environmental Medicine, Nagoya University, Furo-cho, Chikusa-ku, Nagoya, 464-8601, Japan 4Molecular/Cellular Neuroscience, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, 466-8550, Japan 5Department of Anatomy and Molecular Cell Biology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, 466-8550, Japan 6Department of Neurochemistry, The University of Tokyo Graduate School of Medicine, 7-3-1 Hongo, Bunkyo-ku, Tokyo 113-0033, Japan 7Division of Multicellular Circuit Dynamics, National Institute for Physiological Sciences, Okazaki, Japan 8Chinese Institute for Brain Research, Beijing (CIBR), Beijing, 102206, China 【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

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