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玉川大学大学院農学研究科の宮崎智史准教授らの研究グループは、トビイロケアリ女王が新たなコロニーを単独で創設する際、餌のない条件下でも子を育て上げること、その育児期間に胸部食道の一部を膨張させ、幼虫のための液状の餌を貯蔵する「胸嚢」を形成することを明らかにするとともに、その形成過程を詳細に報告しました。トビイロケアリ女王が行うコロニー創設はアリにとって典型的な様式であるため、今回明らかにした胸嚢形成の過程は多くのアリに共通するのではないかと示唆されます。
本研究の成果は2022年5月31日(火)に米国の国際科学雑誌「Arthropod Structure & Development」にオンライン掲載されました。
【ポイント】
●トビイロケアリ女王は、新たなコロニーを単独で創設する過程で食道の一部を袋状に膨張させ、幼虫のための液状の餌を貯蔵する「胸嚢」を形成した。
●胸嚢形成は飛翔筋の分解に続いて生じ、その筋分解で生じた胸部背方の間隙を占めるよう時間的・空間的に調和した。
●膨張する予定の食道背面部にみられる肥厚した食道壁のシワ構造は、胸嚢形成に特殊化した構造であることを示唆する。
【研究の背景】
社会性昆虫であるアリは女王とワーカーで構成されるコロニーを形成しますが、育児や採餌など、その社会にとって必要な労働はすべてワーカーが担当します。ただし多くのアリにおいて、新しいコロニーの創設段階だけは例外です。この創設段階では、空中で交尾を終えたばかりの1個体の新女王が地中などに潜って巣を作り(雄は交尾後に死亡します)、産卵し、孵った幼虫をワーカーとして育て上げます。言わば「ワンオペ育児」です。また、アリの中でも原始的な特徴をより多く残すハリアリ亜科などでは幼虫に与える餌を女王自らが巣外に出て集めてきますが、より派生的なグループであるヤマアリ亜科やフタフシアリ亜科の女王は巣に籠ったまま飲まず食わずで、自身の体内に蓄えた筋肉や脂肪を餌に転用して育児に用いると考えられています。蟄居型創設と呼ばれる後者の戦略は一見過酷なようですが、巣の外で捕食されるなどの死亡リスクを回避することができ、アリがさまざまな環境で繁栄することを可能にしてきました。
蟄居型創設を行ういくつかの種では、その創設の過程で胸部を通る食道が袋状に膨れることが報告され、「胸嚢」とよばれるこの部分に液状の餌を蓄えると考えられています。蟄居型創設の過程で、女王の脂肪含有量が低下する、そして不要になった飛翔のための筋肉が分解される(交尾を終えた女王はその後飛翔する機会がありません)というデータから、胸嚢に蓄えられる餌にはそれらの脂肪や飛翔筋が利用されると考えられてきました。一方で、腹部の「そ嚢」に蓄えた中性脂肪を逆流させて胸嚢に移動させると考えられる種もいます。このように胸嚢の形成やその内容物の貯蔵は蟄居型創設において重要な役割を果たすはずですが、それらの過程を実際に調べた例はほとんどありません。そこで本研究では、日本に多く分布するトビイロケアリLasius japonicus(アリ科ヤマアリ亜科)の新女王を対象に、蟄居型創設で胸嚢が形成される過程を詳細に観察しました。
【研究の内容】
(1)飛翔筋分解と時間的に同調した胸嚢の形成過程:蟄居型創設を開始したトビイロケアリ女王は1週間以内に産卵を開始しました。2週目までには最初の幼虫が孵化し、4週目までに蛹になり、6週目には最初のワーカーが羽化しました(図1)。この結果は、本種の女王が創設開始後2-5週目に単独で幼虫を育てることを意味します。それと並行して、創設開始時に細い管状だった女王の食道は2週目から膨張し始め、3-6週目には袋状に膨れた胸嚢を形成することを確かめました(図2)。また、飛翔筋の分解は胸嚢形成よりも早い創設開始後1-3週目で起こり、飛翔筋分解物が餌として利用される可能性が支持されました(図2)。一方でそ嚢は創設開始後4週目まで顕著なサイズ変化は見られず、内容物を胸嚢へ逆流させる様子は確認できませんでした。
(2)飛翔筋分解と空間的に同調した胸嚢の形成と、それを可能にする食道の構造:胸嚢形成前後の女王胸部を、共焦点顕微鏡を使って観察しました。胸嚢が形成される前は食道壁が全体的に厚いことが分かりましたが、背方(上側)の食道壁は特に厚く、細かく波打つような表面構造が観察されました(図3)。一方、胸嚢が形成された創設開始後3週目の女王では、食道の特に背面側が膨張すること、飛翔筋が分解されることで生じた間隙を占めるように膨張すること、そして膨張後の食道壁は薄く引き伸ばされることが分かりました(図3)。本研究の結果は、胸嚢形成が女王単独での育児と同期して起こり、不要になった飛翔筋の分解とも時間的・空間的に調和されて起こること、そして食道の構造が胸嚢形成のために特殊化していることを示しました。こうした胸嚢形成とそれを可能にする食道構造がトビイロケアリ女王の過酷な「ワンオペ育児」を可能にしていると示唆されます。
【今後の展望】
本研究と先行研究の結果を併せて考えると、蟄居型創設をする種、特にヤマアリ亜科ではトビイロケアリと同様の過程で胸嚢が形成されると予想されます。今後は蟄居型創設をする種、そして非蟄居型創設をする種も対象とした比較研究を行うことで、胸嚢の形成過程がどのように進化してきたのかを明らかにできるはずです。
また、本研究の過程で、女王に育てられている幼虫が姉妹にあたる卵や幼虫を「共食い」する場面も観察されました。しかしながら蟄居型創設の過程でこうした共食いがどれくらい頻繁に行われるのか、蟄居型創設になくてはならない行動なのかはわかっていません。こうしたことも包括的に理解することで、女王アリによる過酷な「ワンオペ育児」の実態を明らかにできると考えられます。
本研究の実施にあたり、科学研究費補助金(KAKENHI JP19K06860,JP20K06816)の支援を受けました。
【掲載論文名】
''Thoracic crop formation is spatiotemporally coordinated with flight muscle histolysis during claustral colony foundation in Lasius japonicus queens.''
Arthropod Structure & Development,
https://doi.org/10.1016/j.asd.2022.101169
【研究メンバー】
・玉川大学大学院農学研究科 栗原雄太 大学院生
・九州大学大学院比較社会文化研究院 /九州大学大学院農学研究院附属昆虫科学・新産業創生研究センター 小川浩太 助教
・玉川大学農学部 千葉雄大 2018年度卒業生
・慶應義塾大学法学部 林良信 専任講師
・玉川大学大学院農学研究科/玉川大学農学部/玉川大学学術研究所ミツバチ科学研究センター 宮崎智史 准教授*
*論文責任著者
【添付図の解説】
図1. トビイロケアリのコロニー。創設を終えて間もないコロニーで、女王(中央の大きな個体)が数個体のワーカー(働きアリ)を育て上げたところ。このように最初のワーカーが育つまで、女王は巣にこもって飲まず食わずの状態で、単独での育児(ワンオペ育児)を強いられる。
図2. トビイロケアリの蟄居型コロニー創設と、それに伴う女王の内部構造(特に食道及び飛翔筋)の形態的変化。約6週間の創設期間のうち、2-5週目は女王が単独で育児を担い、最初のワーカーを育て上げる。その過程でまず飛翔筋(青)の分解が起こり、生じた空間に食道が膨張、すなわち胸嚢が形成される。胸嚢内には油状の液体(黄)が貯蔵されており、幼虫に与えると考えられる。
図3. 胸嚢形成に伴う食道壁の構造変化。胸嚢が形成される前後の食道の横断面を模式化して示す。胸嚢形成前の食道中央の位置を点線で、胸嚢形成に伴って食道が膨張する方向を矢印で示す。
<研究に関するお問い合わせ>
玉川大学 大学院 農学研究科 准教授 宮崎 智史(ミヤザキ サトシ)
〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1
TEL: 042-739-8249
E-mail: smiyazaki@agr.tamagawa.ac.jp
▼本件に関する問い合わせ先
学校法人玉川学園 教育情報・企画部 広報課
住所:〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1
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FAX:042-739-8723
メール:pr@tamagawa.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
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