図1 本研究の概略図
研究背景
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者の中には、倦怠感や呼吸困難、嗅覚障害などの罹患後症状(いわゆる「コロナ後遺症」「Long COVID」)を呈する人がおり、世界的に大きな問題となっています。特に記憶力や判断力が下がるなどの認知機能の低下は頭にもやがかかったように感じられることから”ブレインフォグ(Brain fog)”と呼ばれており、就学・就労などの社会生活や日常生活の大きな妨げとなっています(Taquet et al., Lancet Psychiatry, 2024)。この症状は、COVID-19罹患後の脳機能異常に起因すると考えられますが、その発症メカニズムは不明であり、治療法・診断法は確立されていません。
「誰ひとり取り残さない安心・安全なwith/postコロナ社会」の創出において、ワクチン開発や治療法開発に加えて、社会的損失の大きいLong COVIDを克服することが重要です。
そこで、これまで私たちが行ってきた、うつ病、双極症、統合失調症、認知症などの精神・神経疾患を対象とした研究の結果を踏まえ、ブレインフォグの患者さんの脳では、記憶や学習に深く関わるAMPA受容体量の発現のバランスが破綻(変化)しているのではないかと考え、クラウドファンディングの寄付によってこの研究を実施しました。
研究内容
本研究では、COVID-19罹患後に認知機能の低下で就学・就業に支障が生じている患者さん30名を対象に、同研究グループが開発したヒトの脳内でAMPA受容体を観察できる新しい技術([
11C]K-2 AMPA受容体PETイメージング)(Miyazaki et al., Nature Medicine, 2020)を用いて、脳内AMPA受容体の変化(どこで、どれくらい多くなっているのか/少なくなっているのか)を調べました。また、認知機能の低下は、認知機能評価の一つであるRBANS日本語版
*4で評価しました。
この30名のPET画像を、同研究グループが以前に実施した健常者のPET画像と比較したところ、COVID-19罹患後に認知機能の低下をきたしている患者さんの脳内で、AMPA受容体の量が、同年齢帯の健常者よりも脳の広い範囲で増加していることが分かりました。さらに、AMPA受容体の量が多いほど、RBANSの中の「絵呼称(Picture Naming:語彙力や呼称能力を評価)」、「図形再生(Figure Recall:視空間記憶の保持能力)」の2項目のスコアが低いことが分かりました。
加えて、感染などによって濃度が変化する炎症性マーカー
*5の一部で、その濃度が高いほどAMPA受容体の量が増加したり、逆に減少したりする関係性を示すことが分かりました。
今後の展開
本研究は、Long COVIDの認知機能障害“ブレインフォグ”の、脳の変化に基づいた診断方法の開発につながる可能性を示しています。さらにAMPA受容体の働きを抑える薬剤
*6が“ブレインフォグ”治療に使える可能性を示唆しています。
研究費
本研究は、2023年10月にREADYFOR株式会社のクラウドファンディング「コロナ後遺症“ブレインフォグ”発症のしくみの一端を解き明かす研究へ」(
https://readyfor.jp/projects/AMPA-PET)を行い、皆様からの寄付によってこの研究を進めました。また、日本医療研究開発機構(AMED)、武田科学振興財団ならびに、JST科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業(JPMJFS2140)からの助成も受けて実施されました。
論文情報
タイトル:Systemic increase of AMPA receptors associated with cognitive impairment of Long COVID
著者:Yu Fujimoto, Hiroki Abe, Tsuyoshi Eiro, Sakiko Tsugawa, Meiro Tanaka, Mai Hatano, Waki Nakajima, Sadamitsu Ichijo, Tetsu Arisawa, Yuuki Takada, Kimito Kimura, Akane Sano, Koichi Hirahata, Nobuyuki Sasaki, Yuichi Kimura, Takuya Takahashi
掲載雑誌:Brain Communications
DOI:
https://doi.org/10.1093/braincomms/fcaf337
共同研究者
聖マリアンナ医科大学 医学部 リハビリテーション医学講座 主任教授・診療部長 佐々木信幸
医療法人社団創友会ヒラハタクリニック 理事長・院長 平畑光一
用語説明
*1 AMPA(アンパ)受容体:脳内の情報処理の中心的な役割を担う神経伝達物質であるグルタミン酸と結合し、神経細胞同士の情報伝達の場であるシナプスに多く存在するイオンチャネル共役型受容体。グルタミン酸がAMPA受容体に結合すると細胞内にイオンが流入しシナプスが応答するため、シナプス膜上のAMPA受容体の数が増えるとシナプス応答が増強する。シナプス応答の変化は、記憶学習をはじめとした脳内の情報処理の変化における中心的なメカニズムであることが知られている。
*2 新型コロナウイルス感染症罹患後症状(Long COVID):新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)罹患後に生じるさまざまな症状。2025年9月現在、世界保健機関(WHO)はLong COVIDをpost COVID-19 condition(PCC)として「通常、COVID-19発症から3カ月以内に生じ、2カ月以上継続するさまざまな症状」と定義している。
*3 [
11C]K-2 AMPA受容体PETイメージング:[
11C]K-2はAMPA受容体に特異的に結合するK-2と呼ばれる化合物を放射性ラベルしたもの(PET[Positron Emission Tomography/陽電子断層撮影]トレーサー)。[
11C]K-2を投与した後にPETを用いて撮像することにより、AMPA受容体の量をヒト生体脳で定量化できる。
*4 RBANS(Repeatable Battery for the Assessment of Neuropsychological Status)日本語版:高次脳機能を評価する指標の一つで、即時記憶、遅延記憶、視空間・構成、言語、注意の5領域・12の下位項目で構成される。
*5 炎症性マーカー:感染症の罹患などにより免疫細胞などから放出されるタンパク質。免疫の反応を調整する役割を担う他、一部の物質は神経細胞の応答にも影響を及ぼすことが知られている。
*6 AMPA受容体の働きを抑える薬剤:ペランパネルのこと。本国では抗てんかん薬として薬事承認を受けている。
参考文献
Taquet M, Skorniewska Z, De Deyn T, et al. Cognitive and psychiatric symptom trajectories 2-3 years after hospital admission for COVID-19: a longitudinal, prospective cohort study in the UK. Lancet Psychiatry. 2024;11(9):696-708.
https://doi.org/10.1016/S2215-0366(24)00214-1
Miyazaki T, Nakajima W, Hatano M, Shibata Y, Kuroki Y, Arisawa T et al. Visualization of AMPA receptors in living human brain with positron emission tomography. Nature Medicine 2020; 26(2): 281-288.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0723-9