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【本研究のポイント】
・アルツハイマー病(AD)マウス脳ではミエリン注1)含有脂質量が変動し、肥満の影響を受けていたが、ミエリン産生細胞であるオリゴデンドロサイト注2)の遺伝子発現変動はミエリン含有脂質量の変動を反映していなかった。
・ADの脳でのミエリン含有脂質の代謝には遺伝子以外の制御の可能性が考えられる。
・肥満はADでの認知機能障害を悪化せず、一部の神経炎症注3)指標は改善した。肥満とAD病態との関連には病期や食習慣、年齢などの複数要因が関与し得る。
【研究概要】
名古屋大学環境医学研究所病態神経科学分野の川出 野絵 特任助教、山中 宏二 教授らの研究グループは、同研究所分子代謝医学分野の菅波 孝祥 教授、田中 都 講師、発生・遺伝分野の荻 朋男 教授、かずさDNA研究所、名古屋市立大学との共同研究で、アルツハイマー病(AD)の脳でのミエリン含有脂質量の変動は遺伝子発現による制御だけではなく、他の複数の制御を受けていることを明らかにしました。
ADの脳では髄鞘(ミエリン)に主要に含まれる脂質の量が変動していることが報告されています。ミエリン産生を担うのはオリゴデンドロサイトという細胞ですが、ADの脳でミエリン含有脂質量が変動する機構は明らかとなっていません。また、肥満はADのリスク因子ですが、65歳以上の肥満はADリスクではないことが指摘されており、肥満とAD病態との関連性は明確に分かっていません。
本研究では、ADマウスの脳でのミエリン含有脂質量の変動が肥満の影響を受けることを明らかにしました。一方で、ADマウスのオリゴデンドロサイトでの脂質代謝系遺伝子群の発現変動は肥満の影響を受けませんでした。よって、ADでのミエリン含有脂質量の変動は遺伝子発現以外の制御も関与すると推察されます。また、肥満によってADでの認知機能障害は増悪せず、一部の神経炎症指標はむしろ改善傾向がみられました。肥満とAD病態との関連には病態ステージや食習慣、年齢など、複数の要因が関与すると考えられます。
本研究成果は、2026年2月4日(日本時間)付で国際科学雑誌「Scientific Reports」にオンライン先行公開されました。
【研究背景】
脳は脂質を豊富に含有する臓器ですが、髄鞘(ミエリン)は特に脂質が豊富で、主にコレステロール、ガラクトシルセラミド、スルファチド、エタノールアミンプラズマローゲンを含有することが知られています。AD患者の脳ではミエリン含有脂質も含めた各種の脂質量が変動していることが報告されています。また、ミエリンはグリア細胞の一種であるオリゴデンドロサイトにより産生されますが、ADの脳ではオリゴデンドロサイト系列細胞に異常があることも指摘されています。しかし、ADの脳でなぜミエリン含有脂質の量が変動するのかは不明であり、AD病態やオリゴデンドロサイト異常に脂質代謝が寄与するメカニズムも明らかとなっていません。
また、近年、脳以外の臓器からの影響がAD病態に関与する可能性が注目されています。肥満はAD発症リスクを上昇させる因子とされていますが、肥満時の全身における脂質代謝系の変動が脳の脂質代謝系に対して作用するかは分かっていません。また、65歳以上の高齢者では肥満であってもAD発症リスクが上昇しないことが報告されており、肥満がAD病態の悪化に寄与する明確なメカニズムは示されていません。
【研究成果1】
研究グループは、ADマウスの脳を用いたリピドーム解析注4)を行い、ADの脳では複数のミエリン含有脂質量が変動しており、その変動パターンは高脂肪食を摂取させた肥満ADマウスでは異なることを発見しました(図1)。しかし、ADマウスの脳から単離したオリゴデンドロサイトを用いて次世代シークエンス注5)を行ったところ、ADではミエリン含有脂質の代謝に関わる遺伝子群の発現が変動していましたが、肥満時のADでも類似の発現パターンを示しました(図2)。すなわち、ADにおいて、オリゴデンドロサイトでの遺伝子発現の変動は、脳でのミエリン含有脂質量の変動を反映していませんでした。
ADの脳でのミエリン含有脂質量の変動は、遺伝子発現制御だけではなく、酵素活性の制御やオリゴデンドロサイト以外の細胞種との相互作用、脳以外の組織からの作用など、複数のメカニズムにより制御されることが示唆されました。
図1. ADの脳では複数のミエリン含有脂質分子種の量が変動しており、
その変動パターンは高脂肪食を摂取させた肥満ADマウスでは異なる。
図2. ADマウスの脳から単離したオリゴデンドロサイトでは、ミエリン含有脂質の代謝に関わる
遺伝子群の発現が変動していたが、肥満(高脂肪食摂取)ADマウスでも類似の発現パターンを示した。
【研究成果2】
研究グループは、肥満のADマウスにおける認知機能の評価をバーンズ迷路試験注6)により行いました。ADマウスでは記憶能力が悪化しましたが、肥満による影響はなく、学習能力は肥満でわずかに改善傾向を示しました(図3A-C)。また、ADマウスの大脳皮質では神経炎症に関与するミクログリア(Iba1)とアストロサイト(Gfap)の関連遺伝子が発現上昇しますが、Iba1発現上昇は肥満による影響がなく、Gfap発現上昇は肥満により軽度に抑制されました(図3D)。
肥満はADリスク因子とされていますが、本研究ではADでの認知機能障害と神経炎症は肥満により増悪せず、むしろ、これらを改善している可能性が示されました。
【成果の意義と今後の展開】
ADの脳ではミエリン含有脂質の量が変動していましたが、これらの変動はオリゴデンドロサイトでの遺伝子発現制御だけではなく、酵素活性の制御やオリゴデンドロサイト以外の細胞種との相互作用、脳以外の組織からの作用など、複数のメカニズムにより制御されることが推察されました。脳には複数の細胞種が存在していることから、今後、ADでの脂質量の変動や関連酵素の活性異常が脳のいずれの細胞種で起こっているのかを明らかにすることが重要だと考えられます。
図3. (A-C) バーンズ迷路試験 A. バーンズ迷路試験の概要 B. 肥満(高脂肪食摂取)のADマウスでは
学習能力が改善傾向を示している。 C. ADマウスでは記憶能力が悪化するが、肥満による影響はない。
(D) ADマウスの大脳皮質では神経炎症に関与するミクログリア(Iba1)とアストロサイト(Gfap)の
関連遺伝子が発現上昇したが、Iba1発現上昇は肥満による影響がなく、
Gfap発現上昇は肥満により軽度に抑制された。
また、肥満はAD発症のリスク因子とされていますが、65歳以上の肥満はAD発症リスクを上昇させないことが報告されています。本研究ではこの報告を支持する結果が得られ、むしろ、肥満が認知機能の改善と神経炎症の抑制に作用する傾向が見られました。今回、肥満により低下がみられたアストロサイトマーカーのGfapは、ヒトAD患者の血液バイオマーカーとして知られており、肥満における神経炎症の軽減は、臨床的意義があると考えられます。肥満とAD病態との関連はADの発症時期や病態進行、食習慣や年齢など、複数の要因を包括的に考える必要があることが示唆されます。
本研究は、科学研究費補助金(日本学術振興会(JSPS))、ムーンショット型研究開発事業(研究科題名:臓器連関の包括的理解に基づく認知症関連疾患の克服に向けて)(科学技術振興機構(JST))、脳とこころの研究推進プログラム(研究科題名:神経炎症に着目した認知症・神経変性疾患の分子病態解明と治療シーズ開発)(日本医療研究開発機構(AMED))、武田科学振興財団、堀科学芸術振興財団の助成を受けて実施されました。
【用語説明】
注1)ミエリン:
髄鞘を形成する絶縁体で、乾燥重量の約80%が脂質。主な脂質としてはコレステロール、ガラクトシルセラミド、スルファチド、エタノールアミンプラズマローゲン。グリア細胞の一種であるオリゴデンドロサイトにより産生される。
注2)オリゴデンドロサイト:
脳には神経細胞以外の細胞種も存在しており、それらの非神経細胞の総称をグリア細胞という。オリゴデンドロサイトはグリア細胞の一種で、ミエリンを産生する。オリゴデンドロサイトの機能は他のグリア細胞と比較して解明されていない部分が多い。
注3)神経炎症:
代表的なAD病態の一つであり、グリア細胞であるミクログリアやアストロサイトにより引き起こされる。肥満では神経炎症が誘導されると報告されているが、本研究では肥満による増悪は確認できなかった。
注4)リピドーム解析:
サンプル中に含まれる多種多様な脂質分子種を、液体クロマトグラフィー質量分析法(LC-MS)により網羅的に同定・定量解析する手法。
注5)次世代シークエンス:
DNAやRNAの塩基配列を解析する手法であり、サンプルでの遺伝子発現の変動を網羅的に解析することができる。
注6)バーンズ迷路試験:
マウスにおいて、空間記憶・学習能力を評価する行動試験の一つ。マウスが暗い場所を好む習性を利用し、丸い天板(図3A)で暗い穴の場所をターゲットとして5日間のトレーニングで記憶させ、6日目のテストでは穴をなくし、ターゲットエリアを探索する時間が長いほど記憶能力が高いと評価する。
【論文情報】
雑誌名:Scientific Reports
論文タイトル:Brain lipid profiles and oligodendrocyte gene expression show discordant responses to high-fat diet in Alzheimer’s disease mice.
著者:Noe Kawade1,2, Okiru Komine1,2, Akira Sobue1,2, Chihiro Kakimi1, Miyako Tanaka3,4, Takayoshi Suganami3,4,10,11, Mayuko Shimada5,6, Tomoo Ogi5,6,9,10, Kazutaka Ikeda7, Mai Horiuchi1,2, Seiji Watanabe1,2, Takashi Saito1,8, and Koji Yamanaka1,2,9,10,11*
1 Department of Neuroscience and Pathobiology, Research Institute of Environmental Medicine, Nagoya University, Nagoya, 464-8601, Japan
2 Department of Neuroscience and Pathobiology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, 466-8550, Japan
3 Department of Molecular Medicine and Metabolism, Research Institute of Environmental Medicine, Nagoya University, Aichi, 464-8601, Japan
4 Department of Immunometabolism, Nagoya University Graduate School of Medicine, Aichi, 466-8550, Japan
5 Department of Genetics, Research Institute of Environmental Medicine, Nagoya University, Aichi, 464-8601, JAPAN
6 Department of Human Genetics and Molecular Biology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Aichi, 466-8550, JAPAN
7 Department of Applied Genomics, Laboratory of Biomolecule Analysis, Kazusa DNA Research Institute, Chiba, 292-0818, Japan
8 Department of Neurocognitive Science, Institute of Brain Science, Nagoya City University Graduate School of Medical Sciences, Aichi, 467-8601, Japan
9 Institute for Glyco-core Research (iGCORE), Nagoya University, Aichi, Japan
10 Center for One Medicine Innovative Translational Research (COMIT), Nagoya University, Aichi, Japan
11 Research Institute for Quantum and Chemical Innovation, Institutes of Innovation for Future Society, Nagoya University, Aichi, Japan
*Corresponding author
DOI: 10.1038/s41598-026-38129-y
URL:
https://doi.org/10.1038/s41598-026-38129-y
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名古屋大学総務部広報課
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【リリース発信元】 大学プレスセンター
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