大阪大学大学院歯学研究科の姜英男特任教授らによる、生命科学・医学系分野の、 島皮質、オシレーション、CB1受容体、GPR119、光学的膜電位測定法に関する研究成果(大阪大学の最新の研究成果はこちらから:
http://resou.osaka-u.ac.jp/ja )
【研究成果のポイント】
■ラットの脳のスライス標本において、脳内麻薬であるアナンダミド投与により、島皮質※1味覚野と胃腸自律領野との間にシータリズム※2の神経ネットワーク活動が生じることを発見した
■これまで、生命活動を維持するための摂食行動は、視床下部による制御を受けることが知られていたが、味覚認知によりもたらされる情動的な摂食行動を引き起こす高次脳機能メカニズムは不明だった
■本研究は、美味により引き起こされる摂食行動の脳メカニズムの全容解明に大きく寄与するものであり、今後、過食や肥満の制御や食習慣に起因する成人病予防等の応用研究への発展が期待される
【概要】
大阪大学大学院歯学研究科・高次脳口腔機能学講座(口腔生理学教室)の姜英男特任教授、豊田博紀准教授、佐藤元助教、鹿児島大学 齋藤充教授らの研究グループは、ラットの脳のスライス標本において、内因性カンナビノイド※3であるアナンダミド投与により、大脳の味覚野(味覚の認知をおこなう領野)に発生した神経活動が、隣接する胃腸自律領野(胃腸機能をコントロールする領野)へと伝播し、島皮質の前部と後部の神経細胞集団の間にシータリズムの神経ネットワーク活動が生じることを明らかにした。また、味覚野と胃腸自律領野間で生じる神経ネットワーク活動が、フィードフォワード抑制※4によって修飾されることも見出し、それを可視化することに初めて成功した(図1)。
これまで生命活動を維持するための摂食行動は、視床下部による制御を受けることが知られていたが、美味の認知によりもたらされる情動的な摂食行動を引き起こす高次脳機能メカニズムはよくわかっていなかった。本研究において見出された神経活動は、「甘味」や「うま味」といった味覚によりもたらされる情動的な摂食行動を引き起こす脳活動において、中心的役割を果たすと考えられる。
本研究は、美味により引き起こされる摂食行動の脳メカニズムの全容解明に大きく寄与するものであり、今後、過食や肥満の制御や食習慣に起因する成人病予防等の応用研究への発展が期待される。
本研究成果は、英国科学誌Scientific Reportsにおいて、2016年9月1日18時(日本時間)に公開された。
【研究の背景】
私たちの食欲は、さまざまな内因性脂質によって調節されていると考えられている。空腹時には、ラットやマウスの腸管において、脳内麻薬として知られるアナンダミドの血中濃度が増加し、N-オレオイルエタノールアミン※5の血中濃度が減少する。一方、満腹時では、前者の血中濃度は減少し、後者の血中濃度は増加している。また、アナンダミドをラットやマウスの脳に投与すると、カンナビノイド受容体(CB1受容体)を活性化して、食欲を亢進することが示されており、一方、N-オレオイルエタノールアミンを投与すると、G蛋白質共役型受容体119(GPR119)※6またはα-型ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPARα)※7を活性化して、食欲を抑制することが報告されている。
大脳の島皮質には、味覚の情報処理に関わる「味覚野」という領域と、胃や腸管の機能をコントロールする「胃腸自律領野」が前後に隣接して存在する(図2)。機能的磁気共鳴画像法(fMRI)※8を用いた実験により、胃腸自律領野の神経活動が、空腹時に増加する一方、満腹時に低下することが示されており、また、味覚刺激に応答する味覚野の神経活動も、空腹時には増強されるが、満腹時には抑制されることが示されている。さらには、味覚野における「うま味」や「甘味」の認知によって、食欲亢進が引き起こされることが知られている。
このような背景を踏まえると、味覚野における「うま味」や「甘味」の認知によって、胃腸自律領野の神経活動が空腹か満腹かには関わらず増加し、その結果、食欲亢進が生じるものと考えることができる。したがって、味覚野と胃腸自律領野の神経活動が協調する可能性が考えられるが、実際に、どのようなメカニズムでどのような協調が引き起こされるのかは明らかにされていなかった。
【研究の内容】
本研究では、ラットの島皮質のスライス標本を作成して、アナンダミドを含む人工脳脊髄液を灌流投与※9したときに、島皮質の神経活動がどのように変化するかを、膜電位感受性色素※10を用いる方法で観察した。スライス標本にアナンダミドを含まない人工脳脊髄液を灌流したときには、島皮質に興奮性の神経活動は認められなかった。しかし、アナンダミドを含む人工脳脊髄液を灌流したときには、島皮質味覚野に発生した神経活動が、味覚野後部に隣接する胃腸自律領野へと伝播し、島皮質の前部と後部の神経細胞集団の間にシータリズムの神経ネットワーク活動が生じることを明らかにした(図1)。また、このシータリズムの神経ネットワーク活動が、N-オレオイルエタノールアミンによって抑制され、そうした抑制効果が、PPARαでなく、GPR119の活性化によって生じることを明らかにした。
さらに、アナンダミドにより生じる味覚野と胃腸領野間の神経ネットワーク活動が、GABAB受容体を介するフィードフォワード抑制により修飾されることを見出し、その可視化に初めて成功した(図1)。
【本研究成果が社会に与える影響】
生命活動を維持するための摂食行動は、視床下部による制御を受けることが知られていたが、味覚認知によりもたらされる情動的な摂食行動を引き起こす高次脳機能メカニズムはよくわかっていなかった。本研究では、アナンダミドにより生じる味覚認知領域と胃腸自律領野間の神経ネットワーク活動が、そうした神経基盤となっている可能性を初めて明らかにした。今後、過食や肥満の制御、食習慣に起因する成人病予防等の応用研究への発展が期待される。
また、本研究では、光学的膜電位測定法を用いることによって、フィードフォワード抑制の時空間的パターンを初めて可視化することに成功した。高次脳情報処理機構の理解に大いに貢献すると考えられ、その学術的意義は極めて高いといえる。
【特記事項】
本研究成果は、英国科学誌Scientific Reportsにおいて、2016年9月1日18時(日本時間)に公開された。
・論文掲載先URL: www.nature.com/articles/srep32529
・タイトル: “A role of CB1R in inducing θ-rhythm coordination between the gustatory and gastrointestinal insula”
・著者名: Youngnam Kang, Hajime Sato, Mitsuru Saito, Dong Xu Yin, Sook Kyung Park, Seog Bae Oh, Yong Chul Bae, Hiroki Toyoda
なお、本研究は、科学研究費補助金基盤研究(B)の一環として行われ、韓国 慶北大学歯学部 口腔解剖神経生物学講座Yong Chul Bae教授、韓国 ソウル大学歯学部 神経生物学・生理学講座Seog Bae Oh教授の協力を得て行われた。
【用語説明】
※1 島皮質
大脳皮質の領域のひとつ。ヒトでは、脳の側面にある外側溝の奥に位置しているため、外側からはみることができないが、ラットの脳では外側面に位置している。島皮質は進化上比較的古い構造であると考えられており、味覚・自律機能(内臓機能の制御)等の、生存に必須なさまざまな機能を担っている。これらの機能に加え、ヒトや高等霊長類では、情動(感情とそれに伴う身体反応)の発現に関与している。
※2 シータリズム
ヒトや動物の脳において、神経細胞の電気的活動の結果生じるリズムを、遅い(周波数の低い)ものから順にギリシャ文字を使って「デルタリズム」(δ,<4Hz)、「シータリズム」(θ,4~8Hz)、「アルファリズム」(α,8~13 Hz)、「ベータリズム」(β,13~25 Hz)、「ガンマリズム」(γ,25~100 Hz)と呼んでいる。
※3 内因性カンナビノイド
身体の中で作られ、マリファナに類似した作用と構造を持ち、カンナビノイド受容体と呼ばれる蛋白質に作用する物質のことを“内因性カンナビノイド”と呼んでいる。アナンダミドと2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)という2つの分子が主要なものであると考えられている。
※4 フィードフォワード抑制
脳には多数の興奮性および抑制性神経細胞が存在し、抑制性神経細胞は興奮性神経細胞の活動を抑制することで、神経回路の動作を制御している。興奮性神経細胞が抑制性神経細胞を活性化することにより、他の興奮性神経細胞が興奮性入力を受ける前や直後に抑制性入力を受けて、スパイク発火タイミングが調節される。これをフィードフォワード抑制と呼んでいる。
※5 N-オレオイルエタノールアミン
生理活性脂質の一種である。後述するG蛋白質共役型受容体119(GPR119)やα-型ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPARα)を介して、食欲抑制作用を持つことが知られている。
※6 G蛋白質共役型受容体119(GPR119)
細胞膜を7回貫通する特徴的な構造を持つ受容体の一つ。マウス、ラットやヒトの消化管、膵臓や脳に発現している。cAMP産生促進作用やインスリン分泌促進作用を有することが知られている。
※7 α-型ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPARα)
ほとんどの脊椎動物において発現している核内受容体の一種のこと。遊離脂肪酸などを生理的な作動薬として活性化され、脂質の代謝や活性酸素の一種である過酸化水素の分解に関わるペルオキシゾームの増加を通じて、中性脂肪の血中濃度の低下を導く。
※8 機能的磁気共鳴画像法(fMRI)
神経活動にともなう血管中の血液の流れの変化および酸素代謝の変化を、磁気共鳴画像装置を用いて測定し、神経活動を評価する方法のこと。
※9 灌流投与
脳スライス標本を人工脳脊髄液が流入出する微小な容器中に静置し、さまざまな物質を人工脳脊髄液を介して神経細胞に投与すること。
※10 膜電位感受性色素
神経細胞は電気的活動(細胞膜内外の電位差の変化)を示す。膜電位感受性色素は神経細胞の細胞膜に取り込まれ、電位の変化に応じて吸光度(特定波長の光の吸収の度合い)が変化する性質を有している。この色素で染めた神経細胞を撮影した画像を、コンピュータで処理して吸光度の変化を計算することによって、撮影範囲にある神経の電気活動の様子を知ることができる。これを光学的膜電位測定法と呼ぶ。
▼本件に関する問い合わせ先
大阪大学大学院歯学研究科・口腔生理学教室
特任教授 姜英男(かんよんなむ) または 准教授 豊田博紀(とよだひろき)
TEL: 06-6879-2882
FAX: 06-6879-2885
E-mail: kang@dent.osaka-u.ac.jp or toyoda@dent.osaka-u.ac.jp
HP:
http://web.dent.osaka-u.ac.jp/~phys/ (高次脳口腔機能学講座(口腔生理学教室))
【リリース発信元】 大学プレスセンター
http://www.u-presscenter.jp/