関西学院大学理工学研究科の田中康就さん(博士前期課程2年)と北條賢准教授、下地博之助教は、働きアリが仕事(タスク)を経験することで、よりそのタスクに従事しやすくなることを発見しました。さらに、この経験の影響は元のタスクによって異なっており、巣外での採餌を担う個体では経験がタスクへの従事のしやすさを規定するのに対して、巣内での子育てを担う個体ではタスク経験は影響しないことが明らかになりました。
アリやミツバチなどの真社会性昆虫のコロニー(注1)では、働きアリ(ワーカー)間でタスクを分担することにより労働の高効率化が実現されています。興味深いことに、この分業はあるタスクを担うワーカーがいなくなった場合でも、残されたワーカーが現在のタスクから労働者不在になったタスクへと切り替えることで維持されることが知られていました。この柔軟な分業は個体の経験がそのタスクへの反応しやすさ(反応閾値)を変化させる反応閾値強化モデルによって説明されてきましたが、モデル予測の詳細な実証研究はありませんでした。
本研究では、経験によってワーカーの反応閾値が変化した結果、タスクを変更している可能性が高いことを詳細な行動実験により示しました。また、本研究で発見された経験がタスク従事に与える影響の個体間差は、ワーカーのタスク決定が機械的に決まっているものではなく、複雑な意思決定の元で行われている可能性を示唆しています。本研究で得られた知見は、社会性昆虫における分業の維持機構に新たな視点を与えるものだと考えられます。
本研究成果は、BMCのオープンアクセス誌「Frontiers in Zoology」に6月15日付(現地時間)で掲載されました。
《ポイント》
・働きアリについて、直近のタスク経験がそのタスクへの従事しやすさ(反応閾値)を変化させることを示しました。
・タスク経験の影響は、巣内での子育て役と巣外での採餌役の間で異なっており、子育て役は経験にかかわらず巣内でのタスクに固執しました。これは個体間で期待される利益の違いを反映している可能性があります。
・材料に用いた日本産トゲオオハリアリは分子レベルから行動レベルまで多くの知見が蓄積されているアリのモデル生物であり、本研究の知見はさらなる分業研究の発展につながります。
《研究の背景と経緯》
アリやミツバチなどの真社会性昆虫は高度な分業体制により地球上の様々な環境で繁栄しています。例えば、働きアリ(ワーカー)は若齢個体が巣内で子育てなど(内役)を、老齢個体が巣外で採餌など(外役)を担います。一方でこの分業には柔軟な側面もあり、コロニー内でタスクに偏りが生じた際にはワーカーが柔軟にタスクを切り替えることで分業を再構築します。この柔軟なタスクの切り替えはコロニー内の分業を維持する鍵として注目されてきました。反応閾値強化モデル(Theraulaz et al., 1998)はこの柔軟な分業を説明する数理モデルです。このモデルは、ワーカーがあるタスクを経験することでそのタスクへの応答のしやすさを規定する内的な閾値が変化し、そのタスクへ従事しやすくなることを説明しています。具体的には、例えば、部屋の中のゴミという刺激に対して掃除を始めようと思うラインが人によって異なることを考えます。もし、同じ部屋の中に複数人が同居した場合、初めに部屋を掃除し始めるのはゴミに対する反応閾値の低い人です。この掃除をしていた人がいなくなった場合、部屋のゴミはどんどん増えていき、次に閾値の低い人が掃除し始めるレベルまで溜まります。反応閾値強化モデルは、この掃除を経験することによってゴミに対しての閾値が下がり、より部屋がきれいな状態でも掃除をし始めることで、部屋の中が一定の綺麗さで保たれるというものです。社会性昆虫における分業の再構築を考えた場合、ワーカーが不足したタスクを経験した際、反応閾値が下降することでそのタスクに特殊化し、分業が再構築されると考えられます。しかし、これまで多く種でワーカーがタスクを切り替えられることは知られておりましたが、個体の経験がこのタスク切り替えに与える影響については多くの場合不明でした。そこで、著者らは沖縄本島に生息する日本産トゲオオハリアリを用いた行動実験により、経験が反応閾値に与える影響を厳密に調査しました。
《研究成果》
トゲオオハリアリでは先行研究によって外役ワーカーが内役へとタスクを切り替えることが知られておりましたが(Shimoji et al., 2020)、行動観察によって内役ワーカーも外役へとタスクを切り替えることで分業が再構築されることを明らかにしました。次に、タスクの経験がワーカーのタスク切り替えに与える影響を調べました。外役ワーカーで分業が再構築されたコロニーに、内役ワーカーで分業を再構築させた個体を導入(コロニーを融合する)して19日間の飼育及び観察をおこないました。もし反応閾値が直近のタスク経験によって変化する場合、外役から内役へとタスクに切り替えたワーカーおよび内役から外役に切り替えたワーカーは、コロニーを融合した後でも切り替えたタスクを継続すると予想しました。結果、融合コロニーにおいて、外役から内役へとタスクを切り替えたワーカー(内役経験がある)は、分業再構築後も外役を継続したワーカー(内役経験が無い)と比べて内役をおこなうようになり、元のタスクである外役には戻らないことがわかりました。これは外役ワーカーにおいて、直近に経験したタスクが反応閾値を低下させたことを示唆します。その一方で、内役から外役に切り替えたワーカー(外役経験がある)は元のタスクである内役に戻ったことから、反応閾値の変動が生じなかったことが示唆されます。本種の若齢ワーカーは卵巣が発達する一方、老齢では産卵能力を失うことが明らかになっています(Okada et al., 2015)。このため、通常は老齢である外役ワーカーは不足しているタスクを担いコロニーの機能を維持することでのみ利益を得られると予想されます。一方で、通常は若齢である内役ワーカーは自身での産卵が期待されることから、巣内に留まることで高い利益を得ると考えられます。このように、元のタスク間でみられた経験の影響の違いは、ワーカー間で期待される利益の違いを反映している可能性があります。
《今後の期待》
アリは高度な分業体制により生態学的に大きな成功を収めています。この背景にはワーカーの柔軟なタスク切り替えによるコロニーの分業維持機構が存在します。本研究の成果はこの分業の維持における個体の経験の重要性を示したうえで、ワーカーの繁殖能力が反応閾値の強化を調整する可能性を示唆しました。これは反応閾値の進化を考えるうえで重要な新しい視点を提供するものです。今後は本研究をもとに、生理学的な反応閾値の調節機構などが検証されることで、さらに分業メカニズムの理解が進むと期待されます。
参考文献
Theraulaz G, Bonabeau E, Deneubourg JL. Response threshold reinforcement and division of labour in insect societies. Proc R Soc B Biol Sci. 1998;265:327-32.
Shimoji H, Kasutani N, Ogawa S, Hojo MK. Worker propensity affects flex- ible task reversion in an ant. Behav Ecol Sociobiol. 2020;74:92.
Okada Y, Sasaki K, Miyazaki S, Shimoji H, Tsuji K, Miura T. Social dominance and reproductive differentiation mediated by dopaminergic signaling in a queenless ant. J Exp Biol. 2015;218:1091-8.
[用語解説]
注1. コロニー
ミツバチやアリ、シロアリなどの社会性昆虫が形成する、家族を単位とした集団。コロニー内では高度な分業体制が進化しており、繁殖を担う女王と労働を担うワーカーの間での繁殖に関する分業や、ワーカー間で巣内での子育てや巣の防衛、採餌など異なるタスクに特殊化する労働分業がみられる。
《研究助成》
本研究は、JSPS科研費(18K14798, 22H02364) の支援により行われました。
《論文タイトル》
Individual experience influences reconstruction of division of labour under colony disturbance in a queenless ant species
(和訳:無女王制アリ種において個体の経験は攪乱下でのコロニーの分業再構築に影響する)
《問い合わせ先》
下地 博之 関西学院大学 生命環境学部
E-mail: shimojih@kwansei.ac.jp
▼本件に関する問い合わせ先
関西学院広報室
住所:兵庫県西宮市上ヶ原一番町1-155
TEL:0798-54-6017
FAX:0798-54-0912
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/