ガラス器具から漏出する亜鉛が受精卵の発生を阻害することを発見 さらに安全で効果的な体外受精法の開発に寄与

近畿大学

近畿大学生物理工学部(和歌山県紀の川市)遺伝子工学科教授 山縣一夫と、扶桑薬品工業株式会社(大阪府大阪市)上席研究員 八尾竜馬、奈良県立医科大学医学部(奈良県橿原市)教授 栗本一基、慶應義塾大学理工学部(神奈川県横浜市)教授 舟橋啓、医療法人浅田レディースクリニック(愛知県名古屋市)研究員 野老美紀子、東京農工大学大学院グローバルイノベーション研究院(東京都府中市)教授 杉村智史、京都大学(京都府京都市)教授 山本拓也の研究グループは、生殖補助医療※1 や畜産、基礎研究分野で受精卵の操作や培養に用いられるガラス器具から受精卵(胚)の発生を妨げる毒物が漏出することを見出しました。また、その毒物が亜鉛であることを同定し、マウス、ウシ、ヒトの受精卵に対する影響を詳細に解析することで、対処法を開発しました。本研究成果から、原因がよくわからない体外受精の成績低下はガラス器具の毒性に由来する可能性が示唆され、今後より安全で効果的な体外受精法の開発につながることが期待されます。 本件に関する論文が、令和7年(2025年)4月2日(水)AM09:01(日本時間)に、米国繁殖生物学会誌"Biology of Reproduction(バイオロジー オブ リプロダクション)"にオンライン掲載されました。 【本件のポイント】 ●体外受精に用いるガラス器具の一部が、受精卵の発生を阻害することを発見 ●受精卵発生を阻害する毒物の実体はガラスから滲み出る「亜鉛」と突き止め、対処法を開発 ●本研究成果は、より安全で効果的な体外受精法の開発につながる 【本件の背景】 日本人の生殖補助医療や畜産、基礎研究分野では、卵子や精子を体外に取りだし、培養液の中で受精、発生させた後に母体に戻す体外受精が行われています。最初の体外受精児が生まれた昭和53年(1978年)から50年近く、受精方法や培養液など、受精卵の発生率や妊娠率を向上させるためのさまざまな技術開発がされてきました。その結果、生殖補助医療現場では、昭和55年(1980年)当時は5%ほどだった出生率が、現在では30%ほどに上昇しています。出生率をさらに向上させるためには、胚の培養環境の改善が必要と考えられています。 体外受精の操作には、多くのガラス器具を用います。例えば、胚を培養する際の培養皿には、胚を高精細に観察できるように底面が薄いガラスになっているもの(ガラスボトムディッシュ)があります。また、培養液中の不純物や菌を除くためのガラス繊維を含むフィルターや、胚を操作するための細いガラス管なども用いられています。これら以外にも、顕微授精で用いる針や一部の培養液のボトルなどもガラス製です。 研究グループは以前の研究において、胚の発生過程を連続的に長時間観察するライブセルイメージング※2 技術を開発しました。この技術を用いることで、大量の画像データに基づき、胚発生における微妙な違いを数値として検出することが可能になりました。その実験の過程で、多くの実験条件を揃えているにも関わらず、まれに胚発生率が低下することがあることに気づき、検討の結果、培養に使用しているガラスボトムディッシュが原因であることを突き止めました。この経験から、普段何気なく使用しているさまざまな実験器具、特にガラス器具には胚発生を阻害する何らかの毒性が潜在するという仮説を立て、それを明らかにする研究を開始しました。 【本件の内容】 研究グループは、一部のガラス器具から胚発生を阻害する毒性成分が漏出していることを突き止め、成分分析の結果、その毒物の実体が亜鉛と明らかにしました。亜鉛はマウス胚において、発生遅延、染色体分配異常※3、細胞質分裂異常、胚性遺伝子※4 の活性化異常などを引き起こし、胚盤胞※5 の形成を著しく減少させました。着床後、亜鉛を添加した環境で培養した胚の出生率は添加しなかった環境で培養した胚と同程度でしたが、出生体重は平均18%増加しました。さらに、亜鉛はウシおよびヒト胚の発生にも影響を与え、その影響の大きさは動物種による差異が見られました。これらの亜鉛による胚毒性効果を軽減する方法を検討した結果、培養液にキレート剤※6 であるEDTA(エチレンジアミン四酢酸)を適切な時期に適切な濃度で添加する、または事前にガラス器具を十分洗浄することにより、ガラスに触れた培養液でも胚の発生率や出生率が低下しないことを見出しました。この研究により、胚培養に用いる器具管理の重要性が再認識され、より安全で効果的な体外受精法が開発されることが期待されます。 【論文概要】 掲載誌:Biology of Reproduction(インパクトファクター:3.1@2023) 論文名:Zinc eluted from glassware is a risk factor for embryo development     in human and animal assisted reproduction     (ガラス器具から漏出する亜鉛がヒトを含む動物の生殖補助技術における      胚発生のリスク因子となる) 著者 :八尾竜馬1,2,*、小林久人3、平井樹1,2、徳岡雄大4、野老美紀子2,5、     朝山雄太1、鈴木由華2、波多野裕2、池田宏輝3、杉村智史6、山本拓也7,8,9、     山田貴大4,10、細井美彦2、舟橋啓4,10、福永憲隆5、浅田義正5、栗本一基3,11、     山縣一夫2,* *責任著者 所属 :1 扶桑薬品工業株式会社研究開発センター     2 近畿大学生物理工学部     3 奈良県立医科大学発生・再生医学講座     4 慶應義塾大学理工学部・理工学研究科     5 医療法人浅田レディースクリニック     6 東京農工大学グローバルイノベーション研究院     7 京都大学iPS細胞研究所     8 京都大学ヒト生物学高等研究拠点     9 理化学研究所革新知能統合研究センター     10 慶應義塾大学理工学部生命情報学科     11 奈良医科大学先進医学研究支援機構医学研究支援センター DOI :10.1093/biolre/ioaf050 URL :https://doi.org/10.1093/biolre/ioaf050      【研究詳細】 研究グループは、まず、培養液に触れるさまざまなガラス器具(ガラスボトムディッシュ、培養液の滅菌フィルター、胚の移動に用いるガラスキャピラリー)を用いてマウス胚発生への影響を検討しました。その結果、程度の差はあるものの、いずれの器具、いずれのメーカーのものにも毒性が認められました(図1)。 受精直後の胚をガラスの存在下で4日間培養した。(A)ガラス繊維含有フィルターを通した培養液で胚培養すると発生が阻害された。(B)ガラスボトムディッシュのガラス部分で胚培養すると発生が阻害されたが、ガラスと培養液の間にPETフィルムをおくと胚発生率の低下が抑制された。(C)5μLの培養液を2本(×2)もしくは8本(×8)のガラスキャピラリーで吸引・排出してから胚培養すると、本数に依存して発生が阻害された。一方、ガラスキャピラリーを事前に洗浄すると胚発生率の低下が抑制された。スケールバーは100μmを示す。 (出典:Yao T., et al., Biol. Reprod., 2025. CC BY 4.0.) そこで、ガラスに由来する毒性の実体を成分分析によって探索したところ、ガラスから漏出する「亜鉛」が原因物質であることを突き止めました。胚発生を阻害するガラス器具からは、亜鉛が5-80μMの濃度で培養液に漏出していました。亜鉛がマウス胚の発生に与える影響を明らかにするため、培養液に亜鉛を添加して胚培養試験を行いました。その結果、亜鉛添加区では濃度依存的に胚盤胞期までの発生が大きく阻害されることがわかりました(図2)。 成分分析の結果、ガラスからはホウ素(B)や亜鉛(Zn)などが培養液に漏出していた。培養液にB(OH)3とZnCl2を添加して胚培養したところ、ZnCl2濃度依存的に発生率が低下した。 (出典:Yao T., et al., Biol. Reprod., 2025. CC BY 4.0.) 次にライブセルイメージングで核や細胞分裂の動態を観察したところ、亜鉛はマウス胚の染色体分配や細胞質分裂に影響を与え、発生速度の遅延の原因になることがわかりました(図3)。 ヒストンH2B-mCherry※7 をコードするmRNAを細胞質に注入したマウス胚の核、及び細胞分裂の動態をライブセルイメージングで4日間観察した。(A)亜鉛の添加濃度依存的に染色体分配異常(ACS)、細胞質分裂不全(CKF)、分裂期停止(M-phase arrest)、2細胞期停止(2-cell block)を起こした胚の割合が増加した。(B)個々の胚の核数(上)及び平均値±SEM(下)の経時的な変化を観察すると、亜鉛濃度依存的に核数の増加が抑制された。(C)各発生ステージの所要時間を算出したところ、亜鉛は特に2細胞期の発生を遅延させることがわかった。 (出典:Yao T., et al., Biol. Reprod., 2025. CC BY 4.0.) また、RNAシークエンス※8 による遺伝子発現解析を行ったところ、亜鉛はマウス胚の遺伝子発現をかく乱することがわかりました(図4)。 2細胞期(左)及び胚盤胞期(右)の、亜鉛に暴露した胚(Zn)と亜鉛に暴露していない胚(CTR)における遺伝子発現の散布図。亜鉛によって発現量が上昇した遺伝子は赤、発現量が低下した遺伝子は青で示している。代表的な遺伝子は図中に名称を示している。亜鉛に暴露すると、2細胞期では通常この時期に発現が認められない胎児の形態形成等に関与するHoxa1やHoxb9、T、Fgf8などの発現上昇や、胚性遺伝子の活性化に関与するZscan4aなどの発現低下が認められた。胚盤胞期では、金属イオンを制御するMt1やMt2、亜鉛のトランスポーターであるSlc30a2などの発現上昇が認められた。 (出典:Yao T., et al., Biol. Reprod., 2025. CC BY 4.0.) さらに、亜鉛に暴露されたマウス胚の産仔までの影響を検討するため、胚盤胞期まで発生した胚を仮親の子宮に移植しました。その結果、産仔は通常通りの割合で産まれる一方、産仔の体重が亜鉛に暴露していない胚と比較して平均で18%増加することがわかりました。 次に、亜鉛の毒性を抑制する方法を検討しました。亜鉛のような金属イオンはEDTAと結合すると、作用が抑制されることが知られています。そこで、亜鉛存在下の培養液に通常より高濃度のEDTAを添加し、マウス胚の培養試験を行いました。その結果、EDTAは胚盤胞期までの発生率を大幅に改善するものの、EDTAと亜鉛の存在下で培養した胚を仮親に移植すると出生率が低下することがわかりました。そこで、EDTAによる処理時間を検討し、受精直後から8細胞期までに限定すると、仮親に移植後の出生率の低下が回避できることがわかりました。また、使用前にガラス器具を十分洗浄することによっても胚の発生率低下を抑制することができました。 最後に、マウス胚、ウシ胚、ヒト胚で亜鉛の毒性を比較検討しました。その結果、ウシ胚はマウス胚よりも高い亜鉛濃度でも発生し得ることが分かりました。ヒト胚は倫理的・技術的観点から、多数の胚を用いて詳細な検討を行うことは困難であるため、ライブセルイメージングを用いて限られた胚数からも多くの情報を得ることを試みました。その結果、亜鉛は、染色体分配などには影響は与えないものの、異常な細胞質分裂を示す胚が増加しました(図5)。 (A)ウシ胚培養液にZnCl2を添加して胚培養したところ、ZnCl2濃度依存的に発生率が低下した。ウシ胚の発生率を低下させる亜鉛濃度はマウスより高かった。(B)1細胞期のヒト余剰胚の細胞質にヒストンH2B-mCherryをコードするmRNAを注入し、ライブセルイメージングでACS、CKF、M-phase arrest、割球の断片化(Fragmentation)、多核(Multi-nucleation)、割球の分裂数異常(Direct-cleavage)を観察した。その結果、亜鉛暴露によってdirect-cleavageの割合が有意に上昇した(両側Fisher正確確率検定、P<.05を有意と判定)。 (出典:Yao T., et al., Biol. Reprod., 2025. CC BY 4.0.) 【今後の展望】 本研究から、これまでの体外受精における意図しない成績低下の要因の一つとして、ガラス器具から漏出する亜鉛が関与している可能性が考えられました。体外受精を行う際は、ガラス器具から漏出する亜鉛を考慮することで、成績の向上や安定化が期待されます。 【研究代表者のコメント】 八尾竜馬(やおたつま) 所属  :扶桑薬品工業株式会社 研究開発センター      近畿大学生物理工学部研究員 職位  :上席研究員 学位  :博士(工学) コメント:われわれの研究グループは、20年以上前から体外受精に用いる培養液などの開発に取り組んできました。体外受精の成績は、体外特有の環境要因(光の暴露、温度変化、酸化ストレスなど)によって変化することが知られていましたが、今回新たにガラス器具から漏出する亜鉛が、体外受精成績を左右するリスク要因であることがわかりました。本研究成果を踏まえて、今後はより安全で効果的な体外受精法の開発に取り組み、生殖補助医療や家畜繁殖成績の向上及び発生工学研究における実験の精度向上に貢献したいと考えています。 山縣一夫(やまがたかずお) 所属  :近畿大学生物理工学部遺伝子工学科      近畿大学大学院生物理工学研究科 職位  :教授 学位  :博士(農学) コメント:われわれの研究グループは、20年近くに渡りライブセルイメージング技術を用いて受精卵の質を定量的に評価する技術を開発し、それを生殖補助医療や家畜繁殖分野に応用する試みを行ってきました。それらの分野ではこれまで、胚培養士などの専門家が目視により胚の発生具合を評価してきましたが、発生具合を数値として詳細に記述して初めて、胚の状態を正確に表現できると考えます。本研究成果は、まさにその技術により培養環境中にある毒性を見つけ出すことができたと考えています。 【用語解説】 ※1 生殖補助医療:不妊症に対処するため実施される体外受精、胚移植などの医療技術の総称。かつては治療ができなかった難治性の不妊症を治療するために開発された。現在この技術によって、世界で年間約100万人が出生している。 ※2 ライブセルイメージング:緑色蛍光タンパク質などを用いて、細胞内におけるタンパク質や構造を生きたまま連続的にタイムラプス観察をする手法。本研究では、ヒストンタンパク質を赤色に染めることで細胞核を可視化している。 ※3 染色体分配異常:細胞分裂の際、染色体(遺伝情報を保持する構造体)が娘細胞へ均等に分配されない現象。 ※4 胚性遺伝子:受精後しばらくして胚のゲノムから発現する遺伝子。 ※5 胚盤胞:受精後、1つの細胞が細胞分裂を繰り返し、細胞数がおよそ数十前後に増えた時点で内部に腔が生じて膨らんだような形状の胚。胚盤胞の時点で母体に着床する。マウスでは受精からおよそ4日後、ヒトでは5~6日後に胚盤胞に到達する。 ※6 キレート剤:金属イオンに対して複数の結合部位を持ち、金属イオンを挟み込むように結合することによって、金属イオンと他の物質の反応を抑制する化学物質。 ※7 ヒストンH2B-mCherry:DNAをコンパクトに折りたたみ、クロマチンと呼ばれる構造を形成する主要な核内タンパク質であるヒストンH2Bに、赤色の蛍光タンパク質であるmCherryを連結したもの。 ※8 RNAシークエンス:細胞中に存在する多数のRNAを次世代シークエンスによって配列決定をする手法。これにより、細胞が転写している遺伝子や、遺伝子ごとの転写活性を知ることが可能となる。 【関連リンク】 生物理工学部 遺伝子工学科 教授 山縣一夫(ヤマガタカズオ) https://www.kindai.ac.jp/meikan/1365-yamagata-kazuo.html 生物理工学部 遺伝子工学科 特任教授 細井美彦(ホソイヨシヒコ) https://www.kindai.ac.jp/meikan/850-hosoi-yoshihiko.html 生物理工学部 https://www.kindai.ac.jp/bost/ ▼本件に関する問い合わせ先 広報室 住所:〒577-8502 大阪府東大阪市小若江3-4-1 TEL:06‐4307‐3007 FAX:06‐6727‐5288 メール:koho@kindai.ac.jp 【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

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