運動中に感覚が変化する脳メカニズムを解明
~運動により活性化する神経回路を新発見~
私たちが運動している時、脳の中では様々な変化が起きています。藤田医科大学 精神・神経病態解明センターの山下貴之教授(兼・医学部 生理学II講座)らの研究グループは、運動による感覚情報の修飾に着目し、特定の神経経路を遮断する新たな解析技術を用いて、運動に伴う感覚変化の脳メカニズムを調べました。その結果、これまで報告されていなかった新たな神経回路機構を発見しました。本研究成果は、米国の学術ジャーナル「The Journal of Neuroscience」で近日中に正式に発表される予定で、オンライン版が2023年12月1日に公開されました。
論文URL : https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.1148-23.2023
<研究成果のポイント>
- 運動により感覚が変化する脳神経回路メカニズムを光遺伝学※1を用いて調べました。
- 触覚を処理する脳の一次体性感覚野※2という部位に着目し、一次体性感覚野に情報を入力する信号経路を特異的に遮断することで、その効果を調べました。
- その結果、運動に伴う感覚の変化には、従来考えられてきた一次運動野※3ではなく、視床※4と二次体性感覚野※5がそれぞれ運動に関する異なる特徴を持つ入力信号を一次体性感覚野に送ることが重要であることを明らかにしました。
- 本研究成果を生かした新たな人工知能モデルや介入的治療法の開発が期待されます。
<背景>
運動をしていると、脳全体の神経活動が変化します。この変化は感覚を処理する脳の部分にも及び、運動中は静止時と異なる感覚処理が行われます。しかしながら、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。本研究では、触覚を処理する脳の一部(一次体性感覚野[S1])の神経活動が、運動によりどのように変化するかを調べました。S1の神経細胞は、マウスの顔にある長いヒゲ(洞毛)※6の運動によって活動が変化することが知られています。従来、S1は運動に関わる脳部位(一次運動野[M1])からの情報を受け取り、これが運動中のS1活動変化に影響を与えると考えられてきました。ところが、これについては直接的な実験的証拠がなく、詳細は不明なままでした。
<研究手法・研究成果>
S1に情報入力する脳部位は様々ありますが、その中に運動中に活性化しS1に情報を送ると考えられる神経経路は少なくとも3つあり、それらはM1からS1へのトップダウン入力※7、視床(TLM)からS1へのボトムアップ入力※8、二次体性感覚野(S2)からS1へのフィードバック入力※9です(図①)。本研究では、緑色の光照射によって活性化し、神経細胞を抑制する蚊由来のタンパク質eOPN3を用いました。S1の神経活動を電気記録しながら、光照射により、上記の入力を別々に遮断しました(図②)。同時にマウスの顔を上から高速ビデオ撮影し、洞毛の運動も記録しました。
記録結果を解析したところ、S1には洞毛運動により活性化あるいは不活性化する細胞群(洞毛関連細胞)が見出されました。TLMからのボトムアップ入力あるいはS2からのフィードバック入力を抑制すると、洞毛関連細胞における洞毛運動に伴う活動変化が減弱しました。それに対し、M1からのトップダウン入力を抑制しても洞毛関連細胞の活動に影響は見られませんでした。S1には運動中の洞毛が特定の位置にあるときに活動を示す神経細胞があります。当該細胞の活動はTLMからのボトムアップ入力を遮断することで大幅に減弱しました。ところが、M1やS2からの情報入力を遮断しても当該細胞の活動に変化はありませんでした。
以上の結果から、従来想定されていたようなM1からS1へのトップダウン入力は実は運動中のS1活動変化にほぼ寄与していないことが分かりました。一方で、TLMからのボトムアップ入力は洞毛運動中に洞毛位置を知らせていました。S2からS1へ入力される情報はより非特異的であり、洞毛の運動状態をS1に伝える役割があると考えられます(図③)。
<今後の展開>
本研究は、運動中の脳の神経活動に関する従来の理解に重要な変更を加えるものです。特に、S1における神経活動が運動によってどのように変化するかに焦点を当て、M1からの直接的な影響がこれまで考えられていたほど重要ではないことを明らかにしました。さらに、TLMからのボトムアップ信号とS2からのフィードバック情報が、異なる様式で、運動中のS1神経活動変化において重要な役割を果たしていることを明らかにしました。これらの発見は、神経科学の分野において感覚と運動の統合メカニズムについての新しい視点と知識をもたらすものであり、今後は視覚や聴覚など他の感覚モダリティに同様の機構が存在するかが調べられるでしょう。こういった新たな知見は、人工知能やロボティクス、ブレインテックの分野における脳の情報処理モデルの開発・改善に貢献できると考えられます。脳の動作メカニズムをより正確に模倣することで、より高度な人工知能システムや介入的治療法の開発が進むことが期待されます。
<用語解説>
※1 光遺伝学
光を使って細胞、特に神経細胞の活動を制御する技術。遺伝子操作によって特定の細胞に光に反応するタンパク質を発現させ、特定の波長の光を当てることで、これらのタンパク質を活性化し、細胞の動作を制御します。
※2 一次体性感覚野(S1)
脳の一部で、主に触覚などの体性感覚情報を処理する領域。体の各部位からの感覚情報がこの領域に集まり、解釈されます。
※3 一次運動野(M1)
脳の一部で、意図的な筋肉の動きをコントロールする神経細胞が集まっている領域。運動の計画や実行に関与しています。
※4 視床(TLM)
脳の中心に位置する構造で、感覚情報の大部分がこの部位を経由して脳の他の部位に伝達されます。視覚、聴覚、触覚などの情報を処理します。
※5 二次体性感覚野(S2)
一次体性感覚野と連携して働き、体性感覚情報をさらに詳細に処理する領域。
※6 洞毛(どうもう)
マウスなどの動物の顔に生える長い毛。触覚情報を集める重要な役割を果たし、環境や物体の感覚を捉えるのに使われます。
※7 トップダウン入力
脳の高次の処理領域から低次の処理領域への情報の流れを指します。例えば、運動計画などの高度な認知機能から感覚領域への影響がこれにあたります。
※8 ボトムアップ入力
脳の低次の処理領域から高次の処理領域への情報の流れを指します。感覚器官から直接受け取った情報が高次の認知処理に影響を与える場合がこれに該当します。
※9 フィードバック入力
脳のある部分から別の部位への情報の伝達で、その情報が元の部位に戻るような経路を指します。
<文献情報>
●論文タイトル
Interareal synaptic inputs underlying whisking-related activity in the primary somatosensory barrel cortex
●著者
河谷昌泰1,2、堀尾佳世1、大熊真人1、李婉茹1,2、山下貴之1,3
●所属
1 藤田医科大学 医学部 生理学II講座
2 名古屋大学 大学院医学系研究科
3 藤田医科大学 精神・神経病態解明センター
●DOI
10.1523/JNEUROSCI.1148-23.2023