グローバル化がもたらした、国境をまたぐサプライチェーン上で生じる人権侵害。国際社会では企業に人権リスクの防止・軽減を課す潮流が強まる一方で、企業に対する法的拘束力のある規範の有効性や妥当性に関する議論が続いています。こうした現状を踏まえ、規範形成に向けた独自のアプローチについて法学部法律学科の大野准教授がお話しします。
Summary
・多国籍企業による国境を越えた人権侵害は、法的主体や国家間の壁により、従来の法理論では責任追及が困難
・企業に生産流通過程のチェックを義務付ける「人権デュー・ディリジェンス(人権DD)」の動きが加速
・流通の観点から人権問題を捉え直し、「人権の瑕疵(かし)ある商品」という概念で消費者に主体的な自覚を促す |
「ビジネスと人権」を取り巻く多様な課題
──「ビジネスと人権」の概要と課題について教えてください。
私たちが日常的に消費する商品は、国境を越えた複雑なサプライチェーンを経て手元に届きます。経済のグローバル化が進む一方で、児童労働や劣悪な労働環境といった人権侵害が生じています。この問題を解決する際の障害となるのが、責任の所在が国境をまたいでいる点です。例えば多国籍企業の場合、海外にある子会社で人権侵害が行われるケースがあります。「ビジネスと人権」はこうした背景から議論されるようになりました。
しかし、従来の法理論では地球規模の問題を扱うことは困難です。法的に別人格として扱われる親会社に子会社の責任を直接負わせることは難しく、他国で起きている問題に自国の法律や裁判所が介入することも容易ではありません。さらに国家間の関係を規律する法が企業に適用されないと一般的に理解されていることも要因です。長らく国際社会は策を見出せずにいましたが、2011年に国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」が採択され、人権保護の動きが広がりました。現在では、一部の国で企業に商品の生産流通過程のチェックを義務付ける「人権デュー・ディリジェンス(人権DD)」の法規制化も始まっています。
私はこの流れに対し、二つの問いを投げかけています。一つは、法的拘束力の妥当性をどう考えるか。もう一つは、問題を企業や国家だけでなく、私たち消費者も含む全ての人に関わるテーマとしてどう理論立てるかという点です。
憲法学の視点から、企業活動を規制する法のあり方を読み解く
──企業への人権DDの義務化を、憲法学でどのように解釈されますか。
欧州では個人の権利保障の観点から、EU域外を含む企業等活動の法規制が進んでいますが、日本でもコンプライアンスや企業倫理だけではなく法の観点から問題を整理する必要があると考えます。
国が企業に人権DDを義務化する、つまり法律で企業の行動を規制することについて分析してみましょう。憲法学的に人権DDは、「営業の自由(憲法22条)」の制約にあたりますが、公共の福祉に基づく必要かつ合理的な制約は許容されています。規制の目的については、生命に関わる事柄からそうでないものまで多種多様であるため、それをどう考えるかについて難しい問題は残るでしょう。他方、制約の程度をみると、この規制は営業活動自体を制限するものではありません。このような制約の緩やかさや近年の判例の動向を踏まえると、私は人権DDの義務化は最高裁では合憲とされる可能性が高いと考えています。
その上で、掘り下げるべき論点があります。制約の根拠となる「公共の福祉」をどう解釈するかという問題です。日本の憲法学では、公共の福祉は日本国内の利益であると暗黙のうちに理解されてきたように思います。しかし人権DDの義務化は、他国の人権を守るために国内企業の権利を制約するものです。この矛盾を乗り越えるため、私は公共の福祉を国内に限定せず、地球規模の利益を含むものとして、地理的に拡張して解釈することを試みています。
一人ひとりの自覚と行動が地球規模のルール形成につながる
──「人権の瑕疵(かし)ある商品」という概念についてお教えください。
これは私の造語なのですが、生産流通過程で人権侵害があった商品を指します。私は「ビジネスと人権」の問題の本質が、地球規模の商品流通網にあると考えています。そのネットワークの中に存在するのは、生産者や労働者だけではありません。私たち消費者も含まれるのです。決して無関係ではない消費者の自覚を促すために、「人権の瑕疵ある商品」という概念を提唱しました。
従来の議論が人権侵害に関与したのは誰なのかという「人のつながり」で企業の責任を問うてきたのに対し、この概念では商品流通という「モノ・サービスのつながり」に着目しています。人権侵害によって安価になった商品を購入することは、公正な取引市場において不当に利益を得る「不当利得」だと考えます。これによって企業だけでなく消費者をもつなげることが可能となり、「ビジネスと人権」を、道徳ではなく市場やそこにおける法秩序の問題として捉え直すことができるのではないでしょうか。
──地球規模の課題に関与している事実を、どのように自覚すべきでしょうか。
前提として、この議論は日本を含む先進国と発展途上国の搾取構造の文脈で語られがちですが、搾取は決して日本国外だけで起きるものではありません。旧ジャニーズ事務所の問題やブラック企業などはまさしく国内における搾取でしょう。その意味で日本に住む私たちは、瑕疵ある商品を「消費」するだけでなく、「生産」する立場にもなり得ます。誰しもが加害者にも被害者にもなる可能性があるのです。
まずは私たち一人ひとりがこうした現状を知る姿勢が大切だと思います。そして、自分にできる範囲でアクションを起こしてみる。例えば、フェアトレード商品の購入や寄付といった行動の積み重ねが、地球規模のルール形成を後押しする力になるでしょう。
──今後のビジョンについてお聞かせください。
「人権の瑕疵ある商品」という概念を、より理論的に説得力のあるものへと洗練させたいです。従来の憲法学は、人間同士の関係を規定する「人」中心の理論でしたが、国家を超えた課題を捉えるには、現代思想や哲学の知見を取り入れながら、そのような「人」中心の法理論そのものを批判的に再検討することが必要かもしれません。フランスの思想家であるブルーノ・ラトゥールの理論なども参考に、人間だけでなく「モノ」も含めたネットワークの中で、法がどのように機能するかを模索しています。国家や企業に頼るだけでなく、私たち一人ひとりが、自分の「消費」と「生産」を通して、地球規模のルール形成に参画できる枠組みを提示したいと考えています。
大野 悠介(おおの ゆうすけ)
東洋大学法学部法律学科准教授/博士(法学)、法務博士(専門職)
専門分野:憲法学 研究キーワード:憲法/制度論/経済的自由/ビジネスと人権 著書・論文等:「グローバル化市場における人権保護」横大道聡ほか編『グローバル化のなかで考える憲法』(弘文堂、2021年)230-245頁/「グローバルサプライチェーンにおける憲法学:「ビジネスと人権」が求める憲法学の一試論 」憲法研究13号(2023年)77-85頁