法政大学の島野智之教授、昭和大学の蛭田眞平准教授(富士山麓自然・生物研究所)、京都先端科学大学の清水伸泰教授らによる共同研究チームが、チーズの熟成に用いるダニをドイツとフランスの3つの産地のチーズ工房から採集し形態情報と遺伝子解析によって調べたところ、いずれもチーズコナダニ Tyrolichus casei (Oudemans, 1910)という種であった。また、それらのチーズコナダニの遺伝構造を詳細に解析した結果、チーズの産地間が互いに500km以上離れているにもかかわらず、地理的な血縁関係の隔たりは見られなかった。
【発表のポイント】
●ヨーロッパの伝統的製法としてチーズの熟成に用いられているダニを、ドイツとフランスの3つのチーズ工房などから採集して調べたところ、いずれもチーズコナダニ Tyrolichus casei (Oudemans, 1910)という種であった。
●それぞれの熟成庫のチーズコナダニの遺伝構造を解析した結果、互いの産地間が500km以上離れているにもかかわらず、地理的な血縁関係の隔たりは見られなかった。
●熟成にダニを用いるチーズには独特の風味があるといわれているが、チーズコナダニからは''レモン香''の1成分であるネラールが検出された。同物質はフェロモンや抗カビ効果としてダニが分泌している可能性がある。一方でアーティズー(チーズ)自身からダニ由来のネラールは検出されなかった。このため、ダニはチーズへの直接的な風味付けには寄与していないと推測される。
■ダニを熟成に用いるヨーロッパの伝統的なチーズについて
ヨーロッパには、何世紀にもわたる伝統的な製法として熟成にダニを用いるチーズがある。このダニはコナダニ類で、18世紀半ばからパスカルの『パンセ』やイソップ寓話などを集めたラ・フォンテーヌの『寓話』など、フランス文学にもたびたび登場している。
島野教授ら共同研究チームは、ドイツ・ライプチヒ郊外ヴュルヒヴィッツのミルベンケーゼ(Milbenkase / Milben=ダニ、Kase=チーズ。ダニ・チーズの意。aはいずれも正しくはウムラウトが付く)、ベルギーとの国境に位置するフランス・フランドル地方のミモレット(Mimolette)、フランス中央高地・オーベルニュ地方のアーティズー(Artisou)の3つのチーズ工房の熟成庫から直接、それぞれのダニを採集。また、オーベルニュ地方のライオル(Laguiole)と、パリや日本のチーズ専門店で購入した履歴のしっかりしたミモレットからも同様にダニを採集し、形態情報と遺伝子解析によって調べた。
すると、ヴュルヒヴィッツ、フランドル地方、オーベルニュ地方で熟成されたチーズに用いられているダニは全て、チーズコナダニ Tyrolichus casei (Oudemans, 1910)という種であることが判明した(※学名のcaseiは「チーズ」の意味)。
なお、フランスでは熟成されたチーズに意図せずダニが付くこともあるが、今回、パリの市場(マルシェ)で購入したチーズには、チーズコナダニとは別種のアシブトコナダニなどが多く付着していた。
■異なる地域のチーズから同一種のダニが採集された調査結果について
近年、テロワール(terroir)と言う言葉が広まっているが、もとは「土地」を意味するフランス語のterre(英earthあるいはland)から派生した言葉で、ワインの味わいに関係するブドウの生育地の土壌、気候、風土、人的要因など、土地固有の環境要因を意味する。また、日本酒には「蔵付き酵母」として、醸造蔵に棲み着いている酵母によって独自の風味が出るとする考え方もある。
採集・解析によって、何世紀にもわたって熟成過程で使い続けてきた工房のダニが、チーズコナダニという種であることはわかった。それでは、「蔵付き酵母」ならぬ「蔵付きダニ」は厳密な意味で代々その地域で育っており、それぞれの土地固有あるいは熟成庫固有のダニ系統が存在しているのだろうか。
研究チームは、3つの産地の5つのチーズのチーズコナダニについて、超並列DNAシークエンサーを用い、MIG-seq法によって、それぞれの遺伝構造を解析した。その結果、ドイツ東部、フランス北部、そしてフランス中南部と、各産地は500km以上離れているにもかかわらず、地理的な血縁関係の隔たりは見られなかった。
遠く離れた伝統ある3つのチーズ産地の熟成庫で、チーズコナダニという種が唯一、熟成に使われていることになるが、もちろん人間が意図して選んで同種を使用していたわけではない。ダニの遺伝子に地理的な差違が見られない理由を明瞭に説明することはできないが、いくつかの可能性は考えられる。
たとえば、ローマ時代にはすでにケルト人に育まれた熟成チーズが広くヨーロッパに輸出されていたことがわかっており、冷蔵庫がなかった時代にチーズと共にチーズコナダニもヨーロッパ全体に広まったものの、その後、時代の推移や管理手法の発達によって多くはいなくなり、ダニが好まれるチーズ工房でしか生き残っていないという可能性が推測できる。あるいは、ミツバチの古巣でチーズコナダニが多数みつかる事例があることから、ミツバチによって遺伝的なシャッフルが起こされた可能性なども考えられる。
■チーズの熟成におけるダニの影響について
熟成にダニを用いるチーズには独特の風味があるといわれている。研究チームは、チーズコナダニから''レモン香''のひとつの成分であるネラールをガスクロマトグラフ質量分析計で検出した。この物質は、フェロモンや抗カビ効果としてダニが分泌している可能性がある。
また、3つのチーズのうちのひとつ、アーティズー自身からこのネラールが検出されるかどうかを調べたが、検出されなかった。このため、ダニがチーズへの直接的な風味付けに寄与してはいないと推測される(ただし、ミルベンケーゼとアーティズーはダニの付いている外側も一緒に食べるため、独特の風味が感じられる)。
一方で、球形で全体がバスケットボールほどの大きさのチーズであるミモレットの場合は外側は食べないが、ダニが外皮に穴を開け表面積を増やすことにより、チーズ内部とのガス交換がより多く行われる。ミモレットの熟成においては、このことが重要だとされている。
■チーズコナダニはアレルギーの原因となりえるのか
2013年、米国食品医薬品局(FDA)は、生きたダニがいるとしてフランスのチーズ「ミモレット」を税関で差し止めたことがある。しかし、すぐに問題はないとして差し止めは解除された。
お好み焼きなど小麦粉製品におけるダニの大発生でアナフラキシーショックが起きる「パンケーキ症候群」と呼ばれる事例もあるが、その原因となった食品を調べると、チーズのダニとは桁違いに多量のダニが含まれていたことが知られている。
また、チーズコナダニはダニアレルギーの原因になるチリダニ類(ヒョウヒダニ類)とは系統的に非常に離れた分類群であり、その原因にはなりにくい。強いアレルギー体質の場合は注意が必要だが、フランスでダニが熟成に用いられているチーズによってアナフラキシーショックが引き起こされた例はみつけられない。
なお、フランスではダニを使用したチーズ製造に法的規制はない(
https://www.legifrance.gouv.fr/loda/id/JORFTEXT000000644875/2022-04-29/ ; Supplement 1, Article 10参照)。
以上の研究は、共同研究チームの島野智之博士(法政大学 教授)、蛭田眞平博士(昭和大学富士山麓自然・生物研究所 准教授)、清水伸泰博士(京都先端科学大学 教授)が主に進めた。
●発表雑誌
(1) 発表雑誌:Experimental and Applied Acarology(エクスペリメンタル・アンド・アプライド・アカロロジー)誌 2022年7月11日(月)公開
論文タイトル:Do 'cheese factory‐specific' mites (Acari: Astigmata) exist in the cheese‐ripening cabinet?(英文)
著者:Satoshi Shimano, Shimpei F. Hiruta, Nobuhiro Shimizu, Wataru Hagino, Jun-ichi Aoki, Barry M. OConnor
https://doi.org/10.1007/s10493-022-00725-8
(2) 発表雑誌:Experimental and Applied Acarology(エクスペリメンタル・アンド・アプライド・アカロロジー)誌 2022年8月19日(金)公開
論文タイトル:Mite secretions from three traditional mite‐ripened cheese types: are ripened French cheeses flavored by the mites (Acari: Astigmata)?
著者:Nobuhiro Shimizu, Barry M. OConnor, Shimpei F. Hiruta, Wataru Hagino, Satoshi Shimano
https://doi.org/10.1007/s10493-022-00734-7
▼本件に関する問い合わせ先
昭和大学 富士山麓自然・生物研究所
准教授 蛭田 眞平(ひるた しんぺい)
E-mail: hiruta@cas.showa-u.ac.jp
▼本件リリース元
学校法人 昭和大学 総務部総務課 大学広報係
TEL: 03-3784-8059
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【リリース発信元】 大学プレスセンター
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