北里大学薬学部生薬学「健康長寿ゲノム講座」特任教授の岡田典弘らの研究グループは、同大学薬学部附属東洋医学総合研究所・北里研究所病院漢方鍼灸治療センター(旧 北里大学東洋医学総合研究所)の小田口浩、小林義典、関根麻理子、若杉安希乃らとの共同研究で、軽度のうつ症状を訴える被験者における血球のRNA-seqの分析結果より、イントロン・リテンション(IR)がうつ状態の優れたマーカーになることを発見しました。
従来の研究手法では、遺伝子発現のレベルでうつのマーカーは発見されていません。これらの研究では、多くのうつの患者について、いわゆるDEG(differential expression of genes)の分析が数多く行われてきました。つまり、対照群に対して、うつ状態の発症に伴い、発現が上昇(upregulation)した遺伝子、或いは発現が低下(downregulation)した遺伝子の分析です。ところが、この手法では試験ごとに出現する遺伝子が異なり、DEGはマーカーにならないとされてきました。そして、いわゆるうつのpolygenic hypothesis(多遺伝子原因仮説)が提唱されてきたのです。
我々はこれまで老化のモデルマウスを研究する過程で、イントロン・リテンション(IR)がストレス応答によって起こり、漢方薬によってそのストレスが解除されると、IRが健康状態に戻るということを観察してきました。このような知見をもとに、IRを起こす遺伝子(以下、IR遺伝子)がうつの評価・あるいはうつに効く漢方薬の評価に使えると考えました。臨床研究を行い、うつの症状を訴えるボランティアを対象にIRの分析を行ったところ、炎症あるいは自然免疫関連の遺伝子、また繊毛関連遺伝子の約300の遺伝子でIRの変化が観察されました。これらの遺伝子はうつのマーカーになる可能性のある遺伝子であると考えられます。
実際にマーカーになる可能性を確かめるために過去に発表された2つの論文中のうつ患者のIRを再解析したところ、かなりの遺伝子がコホート間でオーバーラップすることが見出されました。我々のデータはMDD(大うつ病性障害)になる前のうつの前症状のデータであり、ZhangらのデータはMDDのデータ、CathomasらのデータはMDDのしかもketamineに抵抗性のnon-responderのデータであり、この三つのコホートの対象者は、国籍も異なるし、それぞれ抑うつの状態も異なっていると考えられます。それにもかかわらず、三つのコホートで共通のIR遺伝子は15あり、いずれも免疫関連、繊毛関連の遺伝子を含んでいました。これらの結果はこれらの遺伝子がマーカーになりうることを示しています。
我々の試験では被験者に半夏厚朴湯を服用してもらうと、約70の遺伝子でIRの回復が観察されました。回復した遺伝子は、炎症関連の遺伝子が最も多く、繊毛、ミトコンドリア、血球形成、DNA修復と続きます。これは漢方薬が炎症を治める働きがあるという事実とも対応していると考えられます。
以上の知見から、炎症を含む自然免疫と繊毛のいくつかの具体的なIR遺伝子がうつのマーカーになるということが見出されました。polygenic 仮説のもとになったDEGがコホート間で一致しないという観察は、DEGの可塑的な性質を反映したもので、うつの原因を反映したものではないというのが筆者らの見解です(我々はpolygenic仮説が間違いであると主張しているのではありません)。この成果は、2024年9月19日付でFrontiers in Psychiatryに掲載されました。
なお、本研究の一部は、株式会社ツムラの支援と、科学技術振興機構(JST) 研究成果展開事業 共創の場形成支援(センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム)JPMJCE1301の支援を受けたものです。
■研究成果のポイント
・うつ状態は炎症を含む自然免疫および繊毛の遺伝子のIRによって表現することができる(IR遺伝子)。
・つ患者の異なるコホート間でも共通のIR遺伝子が検出されるところから、IR遺伝子をうつ状態を評価するマーカーとして使うことが可能であると考えられる。
・半夏厚朴湯の投与によってIRが回復する遺伝子が検出される。この回復するIR遺伝子の分析によって、この漢方薬の効能の性格付けが可能になる。
・DEGとIRの回復遺伝子を、ネットワーク上にsuperimposeすることで、半夏厚朴湯が効果を顕すための新しいpathwayを検出できる。
■論文情報
掲載誌: Frontiers in Psychiatry
論文名: Intron retention as an excellent marker for diagnosing depression and for discovering new potential pathways for drug intervention
著 者: Norihiro Okada(1)*, Kenshiro Oshima(1), Akiko Maruko(1), Mariko Sekine(2,3), Naoki Ito(3), Akino Wakasugi(2,3), Eiko Mori(3), Hiroshi Odaguchi(3) and Yoshinori Kobayashi(1,3)
(1)北里大学薬学部生薬学「健康長寿ゲノム講座」、(2)北里大学北里研究所病院漢方鍼灸治療センター、(3)北里大学薬学部附属東洋医学総合研究所
* 筆頭著者
DOI: 10.3389/fpsyt.2024.1450708
URL:
https://doi.org/10.3389/fpsyt.2024.1450708
■今後の展望
イントロン・リテンション(IR)が観察される遺伝子はストレス応答遺伝子であり、IRは細胞質の蛋白質のホメオスタシスの調節機構である。今回はうつのストレス(炎症ストレスが多く観察される)に応答して、自然免疫関連や繊毛関連のIR遺伝子が検出され、マーカーになることが示された。これはIRがマーカーになるということが示された最初の例であり、DEGに較べてより直接的に細胞の生理状況を反映するというIRの特性のためである。このことは、従来マーカーがないと言われてきた認知症や他の精神疾患においてもIRが良いマーカーになることができるという可能性を示唆している。
■問い合わせ先
【研究に関すること】
北里大学薬学部「健康長寿ゲノム講座」
特任教授 岡田典弘
e-mails: okadano@pharm.kitasato-u.ac.jp
okadanorihiro@gmail.com
【報道に関すること】
学校法人北里研究所 総務部広報課
TEL:03-5791-6422
e-mail:kohoh@kitasato-u.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/