【本研究のポイント】
・天然の土壌細菌を“そのままの姿”で用い、細菌がもつ酸化酵素の働きを外部から与える分子(デコイ分子)で制御することで、芳香族汚染物質の分解を実現。
・脂肪酸に似せたデコイ分子により、酸化酵素シトクロムP450は汚染物質を“基質として認識するよう誘導され”、水酸化反応を実行。
・遺伝子操作を伴わないため、遺伝子組み換え生物に適用される厳しい法規制を受けることなく運用でき、既存の豊富な微生物資源をそのまま活用できる可能性を秘めた新たなバイオレメディエーション注 1)戦略。
【研究概要】
名古屋大学大学院理学研究科の荘司 長三 教授、伊藤 史哉 博士後期課程学生、唐澤 昌之 博士後期課程学生(当時、現・東京大学大学院農学生命科学研究科特別研究員)の研究グループは、分子を用いて天然の土壌細菌がもつ酵素を外部から制御することで、芳香族汚染物質の微生物分解を可能にする手法の開発に成功しました。
ベンゼンやダイオキシン類注 2)などを含む芳香族化合物は、環境に長期間残留する主要な汚染物質として知られています。近年、細菌などの微生物の浄化作用を利用して分解する「バイオレメディエーション」が注目を集めており、汚染物質を効率よく分解する微生物を遺伝子操作で生み出す研究が盛んに行われています。しかしながら、生物多様性の保全を目的とする規制のため、人工的に遺伝子操作された微生物(GEM)を自然環境の下で使用すること(開放系使用)には高い障壁が存在します。
本研究では、土壌から採取された天然の細菌に脂肪酸を模倣した小分子(デコイ分子)を添加し、生体内の酵素を“だます”ことで汚染物質の分解を実現しました。巨大菌や枯草菌など、土壌に遍在し本来は分解能力を有しない細菌でも、デコイ分子の作用により汚染物質の分解反応が誘導されます。これにより、遺伝子操作を伴わない新しいバイオレメディエーションの可能性が示されました。特に、ダイオキシン類の一種を標的としたモデル系において、デコイ分子を与えられた枯草菌は迅速に分解反応を開始し、その水酸化生成物が確認されました。
本研究は、自然界から単離された微生物を遺伝子操作なしに環境汚染物質の分解へと転用する新しい戦略を示したものであり、既存の豊富な微生物資源の活用を促す道標となる研究成果です。本研究成果は、2026年3月9日に英国王立化学会発行の学術誌『Journal of Materials Chemistry A』オンライン版に掲載されました。
【研究背景と内容】
(1) 研究の背景
ベンゼンやダイオキシン類を含む芳香族化合物は主要な環境汚染物質です。それらによる汚染を浄化する手法として、従来は主に熱処理や化学的手法が用いられてきましたが、コストや環境負荷の大きさが指摘されてきました。そのため近年では、より持続可能な手法として、細菌などの微生物の浄化作用を利用する「バイオレメディエーション」が注目を集めています。特に、難分解性物質の代表格とされるダイオキシン類や多環芳香族炭化水素(PAH)注 3)を対象とした微生物分解研究は盛んに行われており、これらを効率よく分解可能な微生物の探索や代謝経路の開発が進んでいます。
これまでの研究では、細菌に人工的な遺伝子操作を施すことで分解能力を高める方法がよく用いられてきました。具体的には、ダイオキシン類の分解に関与する酸化還元酵素群やPAHの芳香環開裂に必要な複数の酵素遺伝子を細菌に導入し、分解経路全体を人工的に再構築することで効率的な分解を実現するアプローチが取られています。
しかしながら、汚染された土地にこのような外来性の細菌を導入すると、もともとその環境に生息している土着細菌との競争が生じ、導入した細菌が十分に定着できず期待した分解能力を発揮できないという報告があります。さらに、遺伝子組み換え生物(GEM)の拡散や組み換え遺伝子の予測困難な水平伝播注 4)が起こり得ることから、開放系における使用には生物多様性の保全を目的とした厳しい規制が課されています。
本研究では、そのような遺伝子汚染リスクが原理的に生じない方法として、自然界に存在する細菌を外部から与える分子で制御し、汚染物質分解に転用する手法の開発を目指しました。
(2) 研究の内容
“偽物”の分子が酵素を“だます”仕組み
これまで当研究室では、生物界に広く存在し、体内でさまざまな物質の分解や変換に関わる酵素群「シトクロムP450」に注目し、新しい化学反応を生み出す研究を進めてきました。土壌に生息する巨大菌(学名:Priestia megaterium)由来の「シトクロムP450BM3(CYP102A1)」は脂肪酸を水酸化する働きを持つ酵素です。脂肪酸が反応するときには、酵素の中に“先端を差し込むように”入り込み、その先端付近が酵素の奥深くにある「ヘム」の近くに配置されることで水酸化が起こります。
一般的に、酵素が反応する物質(基質)の種類を変えるには、酵素へ変異を導入する、つまり遺伝子操作により酵素の構造そのものを変える必要があります。これは、酵素と基質の間に厳密な「鍵と鍵穴」の関係が存在し、特定の形でしか結びつかず、適合しない分子は反応できないためです。
一方、当研究室では、脂肪酸に似せて作った“偽物の基質(デコイ分子)”を使い、酵素を“だます”ことで、本来は起こらない反応を引き出すことに成功してきました。デコイ分子は脂肪酸と同じように酵素に結合しますが、長さが短いため先端が活性部位に届かず、酵素内部に小さな反応空間を残します。この空間に、ベンゼンなどの小さな分子が入り込むことで代わりに水酸化反応を受けるという仕組みです(図1)。デコイ分子自体は水酸化されないため、その機能は失われず、酵素反応を繰り返し助ける役割を担います。
最大の特徴は、酵素の構造を変える変異導入を行う必要がなく、天然のかたち(野生型)のまま目的反応へ転用できる点です。シトクロムP450BM3はもともと土壌に生息する巨大菌が体内で使っている酵素であるため、この性質を生かせば、その細菌そのものを汚染物質を分解する“働き手”として利用できると考えました。
図1. シトクロムP450BM3による天然の脂肪酸水酸化反応(上)と、
デコイ分子に“だまされて”基質を誤認することで起こす小分子の水酸化反応(下)
自然界の細菌がもつ酵素を“だます“ことで汚染物質の水酸化を実現
まず、天然でシトクロムP450BM3やその近縁酵素を有する細菌に対してデコイ分子を与え、反応を誘導できるかを調べました。10種類の細菌株と76種類のデコイ分子の組み合わせを網羅的に評価した結果、デコイ分子が与えられた場合にのみベンゼン水酸化反応を引き起こす有望な組み合わせを見出しました(図2)。
特に、シトクロムP450BM3を有する巨大菌に加え、その近縁酵素であるCYP102A2とCYP102A3を有する枯草菌(学名:Bacillus subtilis)など、土壌に遍在している細菌が、それぞれ特定のデコイ分子に応答して反応を行うことが明らかとなりました。遺伝子を消去した「遺伝子ノックアウト株」などを用いた検証により、仮説通り菌体内に存在するシトクロムP450の関与が示唆されました。
さらに、ベンゼン以外にもトルエンやキシレン、ナフタレンといった石油に含まれる芳香族汚染物質に対しても水酸化活性を示しました。特に、ダイオキシン類の代表的化合物であるポリ塩化ジベンゾパラジオキシンのモデルとしてモノクロロジベンゾパラジオキシン(1-CDDまたは2-CDD)を対象に分解実験を行ったところ、デコイ分子を与えた枯草菌による迅速な分解が観測されました(図3)。
反応を解析した結果、水酸化生成物が確認され、想定通り酸化酵素が反応を担っていることが示唆されました。水酸化反応は汚染物質の溶解性を高めるとともに、他の微生物による後続の分解を促進する重要なステップであることから、本手法は環境中での分解プロセス全体を加速する有効なアプローチとなり得ます。酵素と小分子の結合を計算科学的にシミュレーションしたところ、枯草菌のシトクロムP450(CYP102A2, CYP102A3)は、ベンゼンに比べ大きなサイズを持つダイオキシン類であってもデコイ分子と同時に収容できる十分な結合空間を有していることが分かりました。
図2. 芳香族汚染物質の水酸化反応に有望な天然細菌株-デコイ分子組み合わせの探索
図3. (A)デコイ分子で制御された枯草菌によるダイオキシン類モデル化合物の分解
(B)ダイオキシン類とデコイ分子を同時に収容する酵素構造の計算科学シミュレーション
【成果の意義】
本研究は、遺伝子操作を行わずとも、自然界に存在する細菌がもつ酵素の働きをデコイ分子によって制御し、細菌に本来備わっていない汚染物質の分解能力を付与できることを示しました。従来のように遺伝子組換え生物を用いる方法とは異なり、この手法は生物多様性の保全に関する法律の規制を受けず、化学物質としての既存の管理体系のもとで運用できる点が大きな利点です。さらに、この戦略は生物界に広く分布する他のシトクロムP450にも応用できる可能性を秘めており、既存の豊富な生物資源を有効活用した新たな環境浄化技術の創出につながることが期待されます。
【支援・謝辞】
本研究は、これらの事業の支援のもとで行われたものです。
日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「酵素を誤作動させる分子による酸化反応の遷移状態設計」(JP22H05129)
日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 基盤研究(A)「革新的反応場分子設計による人工金属酵素反応系の創出」(JP25H00910)
日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 特別研究員奨励費「基質模倣物による水酸化酵素の制御を利用した菌体内物質変換系の開発」(JP19J23669)
日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 特別研究員奨励費「遺伝子組換えに代わる微生物制御機構と機械学習を利用した環境浄化手法の開発」(JP24KJ1242)
科学技術振興機構(JST) 次世代研究者挑戦的研究プログラム「東海国立大学機構融合フロンティア次世代リサーチャー」(JPMJSP2125)
名古屋大学 卓越大学院プログラム トランスフォーマティブ化学生命融合研究大学院プログラム(GTR)
【用語説明】
注1)バイオレメディエーション:
生物の浄化作用を利用した環境汚染浄化手法のこと。細菌などの微生物を用いた手法が含まれ、汚染物質の分解・無毒化を生物学的プロセスによって行う。
注2)ダイオキシン類:
ポリ塩化ジベンゾパラジオキシン、ポリ塩化ジベンゾフラン、ダイオキシン様ポリ塩化ビフェニルの総称。環境中および生体内に長期間残留する難分解性化合物として知られている。
注3)多環芳香族炭化水素(PAH):
複数の芳香環(ベンゼン環)が縮合した構造をもつ有機化合物の総称。化石燃料や不完全燃焼に由来する汚染物質として知られる。一部は強い発がん性を有し、環境中および生体内で難分解性を示す。
注4)水平伝播:
親から子へ受け継がれる垂直的な遺伝ではなく、異なる個体間・種間で遺伝子が移動する現象。
【論文情報】
雑誌名:Journal of Materials Chemistry A
論文タイトル:Chemical Activation of Native Cytochrome P450s in Soil-Derived Bacteria by External Molecules Enables Biodegradation of Aromatic Pollutants
著者:伊藤史哉、唐澤昌之、荘司長三(名古屋大学大学院理学研究科)
DOI: 10.1039/d5ta09218c
URL:
https://doi.org/10.1039/d5ta09218c
▼本件に関する問い合わせ先
名古屋大学総務部広報課
TEL:052-558-9735
FAX:052-788-6272
メール:nu_research@t.mail.nagoya-u.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/