世界の医療団はコンゴ民主共和国(DRC: Democratic Republic of the Congo)にて、ムクウェゲ医師の、パンジ病院の協働パートナーとして、2015年より活動しています。国際的にその名を知られるムクウェゲ医師ではありますが、パンジ病院の活動は依然脆弱な基盤のもとに成り立っており、この活動に世界の医療団(MdM: Médecinsdu Monde)の支援は欠かせません。
「デニ・ムクウェゲ医師とナディア・ムラド氏にノーベル平和賞が授与されました。紛争の武器として利用される性暴力の根絶を図る、その功績が認められたのです」
過去数年にわたり、ムクウェゲ医師は世界各地を訪れ、彼が活動を続ける理由を伝えてきました。国連人権賞、サハロフ賞など数々の賞を受賞したムクウェゲ医師でしたが、ノーベル平和賞受賞を知った瞬間の感動はひとしおでした。20年前、性暴力との長きにわたる闘いを始めた男はこう述べています。
「性暴力の被害にあったすべての方に伝えたい。今、世界があなたの声に耳を傾け、無関心であり続けることを拒否している、受賞はその証なのだと」
20年におよぶ闘い
1999年、コンゴのブカブの地で、ムクウェゲ医師はパンジ病院を設立しました。武装集団によって意図的に引き起こされる惨劇、女性器を破壊するという行為を目の当たりにしたのです。数え切れないほど多くの被害者がいました。それから「性暴力サバイバーを修理する医師」として、患者を治療するだけでなく、生活再建、社会復帰を支援する場となる今のパンジ病院を築き、瞬く間にその名が知られることとなりました。
危険と隣り合わせの活動
ムクウェゲ医師の活動を誰もがみな支持しているわけではありません。その活動が知られ、メディアの注目を浴びる一方、常に彼の命は脅威にさらされています。「危険な状況は、今なお続いています」ムクウェゲ医師は話します。「週1~2回は脅迫を受けますが、私たちは屈することなく立ち向かいます」
ムクウェゲ医師は、国家の政治問題にもためらいなく発言するため、政府当局はその活動に否定的な立場をとっています。「これまで何度も、他の病院には課されることのない法外な課税請求がありました。私たちの活動を妨害するためであることは明らかだ」
世界の医療団がパンジ病院を支援する理由はここにあります。2015年より、世界の医療団はパンジ病院とパートナーシップを結び、危険と隣り合わせになりながらもムクウェゲ医師の活動を支えています。
性暴力との闘い ―世界の医療団とともに
パンジ病院を担当する世界の医療団ベルギーのプロジェクト・コーディネーター、エリック・ヴィノンツのコメントです。「私たちMdMのここでの始まりは、ムクウェゲ医師とともにユートピアを描くことでした。このユートピアとは、性暴力の被害者が安心して治療を受けられる場所、一人一人がサバイバー、被害者として認識される場所を指します」
世界の医療団は「ホリスティックケア」の4つの要素のうち、医療と心理社会的ケアを提供しています。残る2つの要素:法的扶助と社会復帰支援・生活再建については、パンジ財団を含む他パートナーにより提供されています。
「医療だけではない、最適な環境の中、サバイバーの人生を取り戻すための包括的ケア、これが多くの国々でホリスティックケアが取り入れられている理由です」
2015年からスタートした世界の医療団とパンジ病院のパートナーシップが実を結びました。
「知名度と活動の重要性をよそに、パンジ病院は財政面のほとんどを国際援助に頼っています。また、ムクウェゲ医師のアドボカシー活動については、MdMのネットワークを通じ、世界中に大きく広がっていったと自負しています」ヴィノンツはコメントしています。
「この協働によって、医療行為、性暴力に関する専門知識やツールなどの新しい成果が現場にもたらされました」
女性たちの未来
レイプが紛争の武器に用いられるというだけでなく、今日のコンゴでは、一般市民、特に元子ども兵による性暴力が横行しています。被害者は年々若くなる一方で、10歳にも満たない幼い子どもがその犠牲になります。それでもなお、ムクウェゲ医師はこの国の未来を信じています。
活動を始めて20年、状況は変わりました。「今、コンゴの女性たち、性暴力のサバイバーたちが立ち上がっています。彼女たちは今、声を上げ、法廷に立ち、加害者の罪を問うているのです」
ムクウェゲ医師がもたらした変化と流れが途切れることのないようサポートしていくこと、それが私たちの使命のひとつです。