弘前大学(青森県弘前市)では、大学構内にある旧第八師団司令部庁舎の発掘調査の結果、解体から免れた基礎とみられる石材と遺物を発見した。同庁舎は戦後、農学部校舎として利用されていたが、その後の解体により遺構は消失したと考えられていた。今回、同大人文社会科学部北日本考古学研究センター(センター長:上條信彦教授)によって調査が行われ、文献には残っていない建築に使用された工法等が判明。また、そこで培われた技術がその後弘前城の石垣修復などにも活用されていることから、津軽地域における近代化に大きな役割を果たしたことが示唆される発見ともなった。今回の成果の一部は8月末に発行された人文社会科学部「人文社会科学論叢」に掲載され、今後、同センターの特別展での公開も予定している。
【調査のポイント】
●消滅したとされていた司令部庁舎の遺構が残っていたことが判明した。
●戦後、武装解除に向けた動きの中で、司令部内での進駐軍の滞在を示す確実な資料が見つかった。
●文献に記載されることのない、瓦や基礎など当時の建築材の仕様や物流が判明した。
●規模や部屋割り、仕様が分かったことで、建築構造の復元につながる。
●考古学的検討をふまえると、師団の増設は、軍都としての都市形成だけでなく、近代建築の基盤となる材料調達の体制整備と、地元への新技術の定着の面で津軽地域における近代化に大きな役割を果たしたことがうかがえる。
【1.調査の経緯と目的】
陸軍第八師団は、日清戦争が終結した際に、軍備拡張の必要性から増設された6個師団の一つで、1898(明治31)年に弘前に創設された。
弘前大学文京町キャンパス農学生命科学部および理工学部校内には第八師団の司令部のほか、経理部、旅団司令部、憲兵隊本部が所在していた。同司令部は北東北を管轄した中核にあたり、八甲田雪中行軍遭難事件における舞台の一つとしても知られている。
青森県内の近代建築を数多く手掛けたことで有名な堀江佐吉(※)による当時の建造物は、戦後、1949(昭和24)年から新制弘前大学の農学部校舎として使われていたが、昭和30~40年代の校舎増築に伴い全て取り壊され、現存していない。弘前大学構内は戦跡考古学から見て貴重な場所であると言えるが、基礎などの痕跡を含む施設のほぼ全てが消滅してしまったと考えられていた。
こうした中で2020(令和2)年度、キャンパス内の古い給排水管の取り換え工事が行われることになった。北日本考古学研究センターではキャンパス内の地下の状況を確認できる数少ない機会と認識して工事に立ち合い、その結果、解体から免れた基礎とみられる石材と遺物が発見された。建物は失われているが遺構として研究資料が眠っている可能性があり、その保存状態を確認することとなった。
同センターでは2022年5月から、考古学実習の一環として農学生命科学部中庭において発掘調査(約30平方メートル)を実施。なお、新型コロナの影響により校外での実習が制限されており、そのなかで十分な教育を行うための学内調査という側面もあった。
調査の結果、旧陸軍第八師団司令部庁舎の石積布基礎がある程度残存していることが判明した。また、工事に伴う立ち合い調査の結果、司令部跡周辺からも複数の関連資料が出土した。
【2.発見された遺構】
・旧師団司令部庁舎 石積布基礎列(右棟外側約20m分)
当時の写真からほぼ原位置を保っていることが分かった。石材は大鰐のサバ石で、外面は丁寧に磨かれ、内側は小敲跡が残る。石材をつなぐための部品である「チキリ」も出土。上下にモルタルが付着している。こうしたモルタルやチキリを入れる手法は弘前城天守石垣にも見られ、近代建築の工法を知ることができる。
【3.主な出土品】
・瓦
津軽の近代建築における瓦葺建物の初期の事例となる。瓦は新潟県阿賀野市の安田瓦の系統(赤褐色瓦)と、その技術で作られた地元産とみられる瓦(黒褐色瓦)との2種がみられる。
このほか、レンガ・碍子・陶磁器・壁材などが出土した。
【4.その他、周辺調査で見つかった出土品】
旧仮兵舎跡から「コーラ瓶」「井戸筒」が見つかった。
・コーラ瓶
エンボスから1945年製造で進駐軍用に出回っていたものと判明。コーラは大正期に輸入されたが、高級品で地方には出回らなかった。戦後、進駐軍が持ち込んだのが普及の始まりとされる。したがって、出土品は青森において初めてコーラが飲まれたことを示す資料となる。
・井戸筒
井戸があったとされる場所から出土。大正~昭和初期、常滑系統の窯で生産された。江戸時代から続く日本海を介した交易を知ることができる。
■近現代考古学における調査の意義
近現代考古学は、発掘調査や型式学といった考古学的手法を用いて、過去の生活の再構成や解釈を行うことを目的とするが、特に文献史料の乏しい地域や記録を残さなかった階層、日常生活に関わる事項に対して、新たな歴史解釈を加えることができる(桜井 準也2004)。
一例として、1872(明治5)年に日本初の鉄道が新橋・横浜間で開通した際、海上に線路を敷くために造られた近代化遺産のひとつ「高輪築堤跡」(東京都港区)が、2021(令和3)年に国史跡に指定されたことなどが挙げられる。こうした流れのなかで、戦跡として記録を残すことにより、後世への平和教育の材料としての活用も図られている。
※堀江佐吉
弘化2年(1845年)、弘前出身。青森県の多くの近代建築に関わる。第八師団司令部庁舎の後、旧第五十九銀行本店(明治37年)や旧弘前市立図書館(明治39年)、旧弘前偕行社(明治40年)などの代表作を手掛けており、いわばその建築スタイルが完成する出世作だったともいえる。
○弘前大学人文社会科学部 北日本考古学研究センター
https://human.hirosaki-u.ac.jp/kitanihon/
【リリース発信元】 大学プレスセンター
https://www.u-presscenter.jp/