身体を冷やしてマラリア原虫の増殖を抑制
~体温コントロールによる新たなマラリア制御の可能性~
東京慈恵会医科大学の小田川太一助教と嘉糠洋陸教授らは、低温環境がマラリア原虫の遺伝子の働きを弱め、赤血球に侵入する効率を低下させた結果、原虫の増殖が抑えられることを明らかにしました。加えて、体温の低下と抗マラリア薬を組み合わせることで、薬剤単独よりも原虫の増殖を強く抑えられることを動物モデルで示しました。これは、体温コントロールと抗マラリア薬の併用効果を示した世界初の成果です。今後、患者の体温をコントロールすることで既存の薬剤との併用治療をはじめとした新しいアプローチの治療法開発につながる事が期待されます。本成果は2026年5月15日に「Parasitology International」誌に掲載されました。
【ポイント】
33℃まで冷やされたマラリア原虫では、発現量が50%以下に低下した遺伝子が認められ、その中に赤血球への侵入に関わる遺伝子が多く含まれていました。
マラリア感染モデル動物の体温が、低体温療法時の体温に相当する35℃まで低下した条件で、原虫の増殖が約62%抑制されることが判明しました。
動物モデルにおいて、抗マラリア薬と低体温を組み合わせることで、薬を単独で使用した時よりマラリア原虫の増殖を約61%抑えることに成功しました。
研究成果の概要
マラリアは蚊(ハマダラカ)に刺されることでヒトの体内に原虫という小さな寄生虫が入り込んで感染する重大な感染症で、年間2億人以上が感染、60万人以上が死亡しており世界3大感染症の一つとされています。高熱や頭痛、貧血などのほか、特に熱帯熱マラリア原虫は、脳マラリアなどの重篤な症状を引き起こすことが知られています。
これまで、宿主の発熱といった高温環境が原虫に与える影響については研究がされていましたが、低温環境の影響については十分に解明されていませんでした。今回の研究では、ヒトマラリア原虫の培養系およびマウスを用いたマラリア感染モデルによって、低温環境がマラリア原虫に与える影響を解析しました。
その結果、低温環境下では原虫の赤血球侵入効率が著しく低下し、それに伴い原虫増殖が抑制されることを明らかにしました。加えて、RNA-seq解析により、低温ストレスに曝露されたマラリア原虫では、赤血球への侵入に関連する遺伝子の発現が低下することが明らかとなりました。
さらに、低温環境と抗マラリア薬アーテスネートを組み合わせることで、単独処理よりも強い増殖抑制効果が認められました。
これらの成果は、温度という宿主環境因子がマラリア原虫の病原性を制御しうることを示しており、宿主環境を標的とする新たなマラリア制御戦略につながる可能性があります。
今後の展開
今回の研究成果を基盤に、低体温療法の重症マラリアに対する補助療法としての応用可能性を検討します。今後は、低温環境が脳マラリアなどの重症症状や病態進行に与える影響の解明を目指します。
論文
Taichi Odagawa, Erisha Saiki, Hirotaka Kanuka. Cold stress restricts malaria parasite growth by affecting erythrocyte invasion. Parasitology International 2026;114:103302.
doi: 10.1016/j.parint.2026.103302.
研究グループ
・東京慈恵会医科大学 熱帯医学講座 助教 小田川太一、教授 嘉糠洋陸
・東京慈恵会医科大学 実験動物研究施設 助教 齊木選射
研究支援
本研究は、JSPS科研費 挑戦的研究(萌芽)「冬眠宿主におけるマラリア原虫の生存システムの解明」(課題番号:22K19257、研究代表者:嘉糠洋陸)および大山健康財団研究助成(研究代表者:齊木選射)の支援を受けて実施されました。
研究の詳細
1.背景
マラリアは世界で依然として重大な感染症であり、特に熱帯熱マラリア原虫(Plasmodium falciparum)は、脳マラリアを引き起こし、重篤な症状を示すことで知られています。マラリア原虫は赤血球内で増殖を繰り返すことで感染を拡大しますが、その増殖は宿主環境に強く依存しています。これまで、発熱に相当する高温環境が原虫に与える影響については研究されてきましたが、宿主体内における軽度低温環境が原虫に与える影響については十分に解明されていませんでした。
2.手法
本研究では、ヒトマラリア原虫である熱帯熱マラリア原虫(P. falciparum)の培養系を用いて、通常温度である37℃と、低温条件である33℃、30℃、27℃での原虫増殖を比較しました。原虫の発育段階をそろえたうえで各温度条件に曝露し、赤血球内での増殖、発育段階の変化、赤血球への侵入効率を顕微鏡観察により評価しました。さらに、低温環境が原虫の遺伝子発現に与える影響を調べるため、33℃に曝露した原虫を用いて、RNA-seq解析を行い、赤血球侵入に関わる遺伝子群の変化を解析しました。加えて、赤血球侵入に重要なama1遺伝子についてはRT-qPCRにより発現低下を確認しました。また、生体内でも低温環境がマラリア原虫の増殖に影響するかを調べるため、マウスマラリア原虫(P. berghei)を感染させたマウスを4℃の低温環境に曝露し、体温変化と寄生率を経時的に測定しました。さらに、抗マラリア薬アーテスネートを投与した条件も設定し、低温環境と既存薬の併用による原虫増殖抑制効果を評価しました。
3.成果
低温環境下では、マラリア原虫の増殖が温度依存的に抑制され、赤血球侵入効率が低下しました。33℃に3時間曝露したマラリア原虫の遺伝子発現解析では、ama1遺伝子をはじめとして、多数の赤血球侵入関連遺伝子の発現低下が認められました。これらの結果から、低温環境が赤血球侵入過程を阻害することで、マラリア原虫の増殖を抑制していることが示唆されました。また、マウス感染モデルにおいても低温曝露群では寄生率が低下し、アーテスネートとの併用でさらに強い抑制効果が確認されました。このことは、生体内においても低温がマラリア原虫の増殖を抑制することを示しています。
4.今後の応用、展開
研究成果を基盤として、重症マラリア患者に対する低体温療法の補助療法としての有用性を検討していく予定です。低温環境が脳マラリアなどの重症病態における原虫増殖、組織障害、炎症反応にどのような影響を与えるかを明らかにすることを目指します。既存の抗マラリア薬との併用条件を検証することで、薬剤治療の効果を高める新たな治療戦略への応用も視野に入れています。将来的には、宿主の体温環境を制御することでマラリア原虫の増殖や病原性を抑える、宿主環境制御に基づく新しい重症マラリア治療法の確立につながることが期待されます。
5.用語説明
【赤血球侵入】
マラリア原虫が新たな赤血球内へ侵入する過程です。この過程は原虫増殖に必須であり、AMA1など複数の侵入関連分子が関与しています。
【RNA-seq解析】
細胞内で発現している遺伝子を網羅的に解析する手法です。本研究では、低温環境下で発現変化する遺伝子群を解析するために用いました。
【低体温療法】
低体温療法は、体温を意図的に一定範囲まで下げることで、脳などの組織障害を抑えることを目的とした治療法です。心停止後の脳保護や重症脳障害などで用いられてきました。
【アーテスネート】
マラリア治療に広く使用される抗マラリア薬です。重症マラリアに対しても高い有効性を示します。
【本研究内容についてのお問い合わせ先】
東京慈恵会医科大学 熱帯医学講座
助教 小田川 太一(おだがわ たいち)
電話 03-3433-1111(代)
メール odagawa@jikei.ac.jp
【報道機関からのお問い合わせ窓口】
学校法人慈恵大学 経営企画部 広報課
電話 03-5400-1280
メール koho@jikei.ac.jp
