哺乳類の性決定遺伝子Sryの"下剋上進化" ~ゾウ・ナマケモノで力を抜く「寛容的機能低下」の分子進化~(北里大学)



北里大学大学院理学研究科の奥山ほのか大学院生(博士後期課程3年)と伊藤道彦准教授の研究グループは、哺乳類のオスを決める遺伝子「Sry」が、ヒトやマウスでは維持を保っている一方で、ゾウやツチブタなどのアフリカ獣類およびナマケモノでは大きく機能低下していることを発見しました。これは「性決定遺伝子は怠けていても働ける」進化的余裕を示すもので、当研究室で提唱された「下剋上進化仮説」を支持する成果です。この研究成果は、2025年10月23日付で、遺伝子専門学術誌Geneのオンライン版に公開されました(Geneには12月10日掲載予定)。




■研究成果のポイント
・哺乳類の性決定遺伝子Sryは系統や種によって機能強度が異なる:
 性決定遺伝子Sryは、ヒトやマウスでは機能が維持されている一方で、ゾウやツチブタなどのアフリカ獣類やナマケモノではDNA結合能が大きく低下していました。
・性決定遺伝子の進化に"寛容さ"という新しい概念を提示:
 ゾウやツチブタに関しては、その共通祖先やそれぞれの種で機能低下をもたらすアミノ酸置換を同定した。これらは致命的ではなく、機能が"閾値"を下回らない限り維持されるので、「寛容的機能低下モデル」と名づけた。
・「下剋上進化仮説」の支持する分子進化的証拠の提示:
 一般に性決定遺伝子は種や系統によって異なることが多いです。本研究は、既存の性決定遺伝子がほぼ中立変異によって徐々に機能低下し、それが新たな性決定遺伝子の誕生を促すという「下剋上進化仮説」を初めて実証的に支持しました。

■研究の背景
 生物のメスとオスを決める仕組み(性決定システム)は多様です。哺乳類の性決定遺伝子Sry は、Y染色体上に存在し、そのタンパク質は転写因子として機能し精巣形成を開始させる、"オス決定スイッチ"として知られています。このSry遺伝子は、他の性決定遺伝子(ツメガエルdm-Wやメダカdmy)と同様に分子進化の速度が極めて速いことが、以前の我々の解析から明らかになっていました(Mawaribuchi et al. 2012; Ogita et al. 2020)。しかし、なぜ「雌雄を決定する根幹」を担う遺伝子が、これほど変わりやすいのか──この謎は長年、進化生物学における未解決問題でした。
 伊藤らの研究グループは、こうした「変わりやすい性決定遺伝子」に注目し、以前から「下剋上進化仮説」を提唱してきました。これは、性決定遺伝子の活性には閾値が存在し、ほぼ中立進化を介した"弱有害変異"による機能低下が、新しい性決定遺伝子の誕生(→下剋上)を誘発する要因であるとする仮説です。本研究では、この仮説を哺乳類の性決定遺伝子Sryで検証しました。

■研究内容と成果
1)性決定遺伝子Sryは強い純化選択を受けず、緩やかな(リラックス)分子進化をする
 ヒト・マウスなど10種の哺乳類のSryのDNA結合領域を比較したところ、祖先遺伝子Sox3に比べ進化の速さ(dN/dS)が約14倍速く、強い純化選択を受けていないことが明らかになった。これは、Sryは、性決定遺伝子でありながら分子進化的に「緩い(リラックスした)」進化をしていることを示す。
2)Sryには「怠けていても機能する」閾値が存在する
 SRY(タンパク質)は転写因子としてDNA配列に特異的に結合し、性決定を開始させる。10種の哺乳類のSRYのDNA結合能を実験的に比較した結果、共通祖先型に比べ、インドゾウやツチブタ(アフリカ獣類)ではわずか数%、ナマケモノでは約半分まで低下していた。一方でヒトやマウスでは機能が維持されており、性決定遺伝子には「完全ではなくても働ける」機能的閾値が存在すること、そして系統や種ごとに異なる分子進化が進んでいることが示された。
3)インドゾウやツチブタ(アフリカ獣類)SRYにおける機能低下をもたらすアミノ酸変異を特定
 アフリカ獣類の系統で生じた2~3か所のアミノ酸置換(F51L、Q58R、R73C/H)がDNA結合能を大きく低下させる要因であることを突き止めた。
4)「寛容的機能低下モデル」の提唱と「下剋上進化仮説」の支持
 Sryは、機能が閾値を超えていれば性決定を成立させられるため、軽度の機能低下が進化的に"寛容"に受け入れられる。この「寛容的機能低下モデル」は、遺伝子の機能と安定性と進化の柔軟性を両立させる新しい概念であり、「下剋上進化仮説」の分子進化の基盤を実証的に裏づける結果となった。

■今後の展開
1)性決定遺伝子の分子進化における「下剋上進化仮説」の一般化
 本研究で提案した「寛容的機能低下モデル」を基盤とする「下剋上進化仮説」が、両生類ツメガエルdm-Wや魚類メダカdmyなど、他の性決定遺伝子にも共通する原理であるかを比較検討していきます。これにより、脊椎動物における性決定遺伝子の誕生と交代の普遍的な進化機構を明らかにします。
2)遺伝子進化の"しなやかさ"の解明 ~「寛容型機能低下モデル」の一般化~
 本研究が示した「機能低下を寛容する分子進化」は、性決定遺伝子に限らず、重複遺伝子の多くに共通する可能性があります。発生・神経・免疫など多様なシステムにおいて、遺伝子の"頑丈さ(堅牢性)と柔軟さ(可塑性)"の両立という観点から、生命進化の新しい統合理論の構築を目指します。

■論文情報
掲載誌:Gene
論文名:The Tolerated functional decline Model: Relaxed constraint in the molecular evolution of mammalian master Sex-Determining gene SRY
著 者:Okuyama H, Tokunaga A, Hayashi S, Nakasako K, Tsukamoto D, Matsuo T, Tamura K, Ito M.
DOI:10.1016/j.gene.2025.149844
URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S037811192500633X?via%3Dihub

■用語解説
・性決定遺伝子Sry
 単孔類を除く哺乳類のオスを決める遺伝子で、Y染色体上に存在します。SRYはDNAに結合して下流の遺伝子(Sox9など)を活性化し、精巣形成を誘導します。
・アフリカ獣類
 ゾウ・ツチブタ・マナテイ・テンレックなどを含む、哺乳類の中の真獣類(有胎盤類)の最も古い系統郡(アフリカ獣上目)の1つ。アフリカ大陸を起源とし、約8000万年前には他の真獣類(ヒトやマウスを含むローラシア獣類や真主獣類)と分岐した。ヒトやマウスとは大きく異なる進化的系統に属するため、哺乳類の初期進化や性決定遺伝子の多様化を理解するうえで重要な手がかりとなります。
・寛容的機能低下モデル
 遺伝子の働きがやや弱まっても、機能が閾値以上に保たれていれば進化的に"寛容"に受け入れられるという分子進化モデル。重複遺伝子など、特定の機能に特化した遺伝子で起こりやすく、ほぼ中立の分子進化により穏やかに進行します。
・下剋上進化仮説

 上記の「寛容的機能低下モデル」を基盤として、性決定遺伝子の頻繁なターンオーバーを説明する分子進化仮説(伊藤, 遺伝子医学 2019)。性決定遺伝子の活性には閾値があり、ほぼ中立進化を介した"弱有害変異"による機能低下が、新しい性決定遺伝子の誕生を誘起します。ここでいう下剋上とは、新旧の性決定遺伝子が集団内遺伝子間闘争を経て、新しい遺伝子が集団内に固定化されていく進化過程を指します。


■問い合わせ先
【研究に関すること】
 北里大学 理学部 生物科学科
 准教授 伊藤 道彦
 e-mail:ito@sci.kitasato-u.ac.jo

【報道に関すること】
 学校法人北里研究所 広報室
 TEL:03-5791-6422
 e-mail:kohoh@kitasato-u.ac.jp



【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

この企業の関連リリース

この企業の情報

組織名
北里大学
ホームページ
https://www.kitasato-u.ac.jp/
代表者
砂塚 敏明
上場
非上場
所在地
〒108-8641 東京都港区白金5-9-1

検索

人気の記事

カテゴリ

アクセスランキング

  • 週間
  • 月間
  • 機能と特徴
  • Twitter
  • デジタルPR研究所